涙の腰越状・・あるいは弁慶哭く
今回の「涙の腰越状」に対する感想を読むと私のウエットな見方とは大きく違いがあるので暫く考えてしまいましたがこれこそが判官贔屓の感情なりと納得しましたので敢て書きます。
回想シーンばかりで食う読む歩くさん、おおいに不満らしい。(汗)
手抜き・・との感想もありましたが私は「義経」を情の人として描くことを決めた時から監督の内にちりばめられた場面が結集し腰越状を書くまでに至った時間的経緯を回想する事で強め、かえって効果的だと観ていたからです。むしろ回想が無く台詞だけで表現するのでは義経、頼朝二人の費やした時間の誤差のようなものが、斯様にまでも食い違う結果になろうとは・・そんな万感の思いで、重く胸に受け止めながらみました。・・え?何方も泣かなかったのですか(笑)
さしずめ弁慶と隠居大泣き、二人ともダメですね、歳のせい?。
弁慶の腑甲斐無さや堪増を説得するシーンはむしろ要らなかったと FIG JAM さん。すると脚本の甘さは極まり水軍が何故源氏側に寝返ったかを表現出来ないし・・・義経の為に討ち死にした乙若に全く触れない不自然とか問題が満載であることは確かに認めましょう。
史実に残り、しかも決して読まれる事の無かった、かの有名な腰越状を書く所まで追い詰められた心情、胸に去来する思い、絶望感、やるせなさ等を、赤児、幼少の牛若を諄くしつこく出すことで強調したかったのが意図だ、と単純理解しました。決して手抜きでは無いと思うのです。アングルなど新規な画面でしたから、とっくに計算されて撮り溜めてあった物だと考えます。
雪の中の親子は哀れで、とも綱が弛んで流される小舟等・・これらが抜けていたら流転の人生の果てに義経さんが腰越状を、切々と認めるに至った、<進退極まりの感・・>追い詰められた心情はもっと見る側に伝わらなかったと思うからです。
政子に請われても大姫に逢うことを断る義経の心情を矛盾とは全然感じない私は、きっと年齢から来る想像力が逞しいのでしょう(笑)
あそこでノコノコと神社へ逢いに行く義経さんでは困るのです。それこそ空気を読めないのと一緒でもっと危険。
政子はその場その場で短絡的に目の色が変わるようなお人だもの、断られて「許せぬ!」じゃ人としてどのみち知れたもの。
今までの義経さんは<自分なりの判断>とやらをし過ぎたせいで、兄頼朝を怒らせてしまった、其れほど事の重大さに気がつきもしなかった人だ。
それが腰越で足留めされた<晴天の霹靂>でやっと事の深刻さに目覚めたわけですからもう政子といえども頼朝の許し無く逢うわけがない。つまり初めて自分の身の処仕方に不安を感じ萎縮したのではないか?義経さんが保身になった瞬間だと受け止めました・・・。
「鎌倉殿は今我々を見ておられる、妙な動きをすればかえって・・」
大姫に逢わない、と決める事で義経さんは今までの様な行動する人間から他者の心中を計ろうとする考える人間に遅まきながら、やっと辿り着いたのではないか・・・
回想のシーンを入れることで弁慶との「情」の判断の食い違いから起る衝突と最期にはお互いを理解するエピソードが、やっと活きると思うのは身贔屓過ぎか?。
「殿への鎌倉殿の誠がみえませぬ・・」切々と訴える弁慶の台詞、良く考えられていたと思う。ここミチさんが、其の件を上手に書いていらっしゃる。
それに答える義経さんの上司としての危なっかしさを鋭く突くぱるぷんてさん。
たしかに現代では全く通用しません(笑)しかし居たものですよ、こんな集団がバブル前は。皆、賢くなって実に目出たい話です。歴史から現状を学ぶですね(笑)
頼朝の「流人」として生きていた頃の深き野望・・一縷の望みとして何度も思い描いたであろう夢!一たび権力を掌中にした暁には!畏ろしいほどの執念で、維持するための水も漏らさぬ布石、シュミレーションを経て確立した人格。その頼朝との隔たりを表現する意味で、二人の兄弟の境遇の違いを何度も何度も繰り返すことで表現しようとする演出意図があっての回想シーンだと信じたい。
統べての収録が終わった今は、とにかく努力を惜しまなかったスタッフにエールを贈りたい気持ちでいっぱいです。
義経 〜第39回〜
宗盛一行を伴ってきたにもかかわらず、腰越の満福寺にとどめ置かれた義経主従。彼らにとっては鎌倉の取り扱いは理不尽なものに感じられたことでしょうね。そしてそれは郎党たちにとっても辛く苦しい時期でした。弁慶の苛立ちはすさまじいものがありましたよね。勢いあま…
トラックバック by いわぴいのドラマ日記 — 2005/10/3 月曜日 @ 6:57:58
義経39やることなすこと落ち目の義経クン
壇ノ浦も終わり、平家も滅び、後は哀れな義経物語だけとなった大河ドラマ。義経を見続けるモチベーションが失われつつあります。でも12月まで、がんばっていきまっしょい!
さて、いきなり宗チャン節全開です。
頼朝に召され、おろおろと眼をおよがせる宗チャンさい….
トラックバック by ぱるぷんて海の家 — 2005/10/3 月曜日 @ 10:08:08
tbありがとうございます。
>つまり初めて自分の身の処仕方に不安を感じ萎縮したのではないか?
>義経さんが保身になった瞬間
なるほど、そういう見方もあるんですね。おもしろいです、参考になりました。
コメント by ぱるぷんて海の家 — 2005/10/3 月曜日 @ 10:16:31
こんにちは。
「義経が、神社に行って政子&大姫に会っていれば良かったのに…」と思いましたが、確かに会ってもあの政子なら、いい方向に行くとは限りませんよね。
コメント by 里々 — 2005/10/3 月曜日 @ 15:52:38
義経 第30回 「涙の腰越状」
「涙」の腰越状って…。
泣いているの弁慶だけのような。
来週「血の涙」だから、義経の涙は来週なのかしら。
義経は鎌倉からわずか6kmという腰越で、鎌倉からの使者を待つのみの日々。
弁慶は出入り口近くで待ち続け、次郎は海から昆布を取ってくる…。次郎は元々武士…
トラックバック by 鎌倉恋情 — 2005/10/3 月曜日 @ 15:56:05
第39回 「涙の腰越状」
登場人物の中で一番気が利いて頼りになるのは、
杢介と千鳥としか思えないのですが、
それは気の所為でしょうか…。
トラックバック by FIG JAM — 2005/10/3 月曜日 @ 17:58:55
熊野水軍参戦シーンが今少し仰々しいものだったら、
堪増と弁慶の会談も甲斐があったと思えていたかもしれません。
歴史ある熊野神職が率いた水軍が海賊と見紛う集団だった点、
水軍参戦が壇ノ浦の転機だと見る事が出来なかった点が未だに尾を引いていて、
言及して頂いた感想に繋がってしまいました、、。
今回の義経・弁慶のやり合いが良かっただけに、
そちらを優先して描いて欲しかった気持ちが強いです。
前回の義経もそうですが、今回の弁慶に関してもやっと魅力が理解出来てきたというのに、
暦を見ればもう10月。残りの放送回数が気になります…。
コメント by figue — 2005/10/3 月曜日 @ 18:42:29
こんばんは!
ぱるぷんてさん
もう残り僅かです。応援しようにもにも力が及びませんが・・・乗りかかった船です、もう心身症一歩手前ですが何か面白い見方はできないものか?遊んでいます(笑)。
里々さん
私が政子ならば断られても自業自得だと我が身を責めますけどね。(笑)
うまく立ち回れないからこそ義経さんは「死」へと導かれてしまうのでしょう
愚かな奴・・と我々に散々思わせるのじゃなければこれから待つてる「死」をどう受け入れれば良いのかしら。格好悪くて運が悪くて情けなくていいのかな・・
コメント by patra — 2005/10/3 月曜日 @ 19:23:42
figue さん
歴史を知らない私でもあの博徒のような海賊のような熊野水軍の描き方には唖然でした。
闘鶏をするにしても昔は神事の占いだったわけですから・・
水軍によって勝機を掴んだ・・・とはまるで画面から伝わりませんでしたね
だから貴女の意見は正しいですよ。
何故弁慶までもをお笑い集団の一員にしてしまったか。NHKがマツケンサンバに迎合してしまったのでしょ。
筋書きがちがってしまった「義経」をどう着地させるのか?終わったら安眠できそうですが・・・。
コメント by patra — 2005/10/3 月曜日 @ 19:42:54
今回のブログ記事を読み、あらためて、patraさんの記事は重要だと思いました。何事にも、いろいろな見方があるはず。でも、一つの思いにとらわれると、どうしても他の視点には立ちにくくなりがちです。とくに、政子タイプの私は、こう、と思うと、カーーーッとなったりして^^;
コメント by ヒロ子 — 2005/10/3 月曜日 @ 19:45:26
ヒロ子さ〜ん
政子タイプ・・・おお実は私も内在している部分大です。
今回は監督や裏事情を知りすぎている私がブログを書くべきじゃないのでしょうが
批判も悪口もぜったいに必要ですからね、スタッフには打たれ強くなって欲しいわけです。
皆さんの面白さを紹介しつつ「は」と「ひ」とか感じてもらえば長い目でみればそれも応援になるはず。
育てる・・・は一般視聴者なのだから自信もってくださいな。
コメント by patra — 2005/10/3 月曜日 @ 19:57:05
「義経」第39回
「涙の腰越状」
今回は題名どおり「腰越状」が全てでした。
鎌倉まで目前の腰越で足止めを食っている義経一行。
母親心発動した政子はなんとか大姫を九郎に会わせたくて仕方ありませんが、父・時政にも公私混同するなと釘を刺されます。
それならば・・・と、鎌倉の外で会…
トラックバック by ミチの雑記帳 — 2005/10/3 月曜日 @ 21:04:27
こんにちは。
取り上げて頂き恐縮です。
今回は見ていてとても複雑な気持ちになりました。
もちろんあの弁慶の訴えのシーンです。
とても良いシーンだったにもかかわらず、今までの展開からすると唐突感が否めません。
しかも仲直りの仕方がなんとも茶化されていて、「涙の海で溺れた」ってどういうこと?って腹が立ってきました。
弁慶キャラがこんな風では今からの悲劇の逃避行に感情移入出来そうにありません!
あ、ついつい語ってしまいましたが、せっかくドラマがラストスパートなのにもったいないと思います。
それにしても義経に張り付いていた「運の神さま」は急にふいっといなくなってしまわれましたね〜。
コメント by ミチ — 2005/10/3 月曜日 @ 21:11:11
ミチさん
運の神様は気まぐれですから・・闘う姿しか好まないのでしょう、困ったもんだ。(笑)
義経のまわりの人間は千鳥もふくめてすこぶる極楽トンボが多いですよね。
悲劇の実感が丸で無い人間だからこそ無防備に唐突に迫り来る試練!?・・・そこから弁慶、釈迦力に逆噴射でもするのかしらん?。
どうも義経記の悲劇を考えていると外されそうな気配です。脚本が安定してませんよね。歴史に興味のない人が書いてるにちがいない・・ながれるリズムが欠如しているのが一番の問題でしょう。
大いに語ってください。
コメント by patra — 2005/10/4 火曜日 @ 0:42:46
『義経』「涙の腰越状」
真剣に受信料を払うのがバカらしくなった。考えてみれば、私はこの大河ドラマくらいしか、NHKは観ていないじゃないか。たまに特番があれば観るくらいだ。なして、高い金を払って、何度も同じ画面を見せられねばならん?
9月11日、第36回「源平無常」で、今までを振り返って…
トラックバック by バガボンド・ブログ(漫画、ドラマの感想) — 2005/10/4 火曜日 @ 1:57:44
こんばんは。
自分としては、また回想かよ!と思ってしまったのですが……(汗)。
そうではないご意見も伺えて、良かったです!
ところで、横レスで申し訳ないのですが、
>歴史に興味のない人が書いてるにちがいない
私もそのような気がしてなりません。
本当に歴史が好きな人だったら、こんな回想ばっかやってないで、壇ノ浦の合戦を2回に渡って放映したり、もうちょっと力を入れてるように思うのです。私も、熊野水軍は出して欲しかったゾ!
なんだか、悲劇のヒーローという、情緒的なものばかりゴリ押しされていて、細かな時代背景の説明なども、抜けているような気がします。
ア……アカン! どうしても辛口批評になっちまう(汗)。すみませぬ。
コメント by U2 — 2005/10/4 火曜日 @ 2:21:33
おはようございますU2さ〜ん
NHKの視聴料を払いたく無い!と思ったそうですが、それは「大河」だけしか見ないならば大損ですよ。怒って良いですぅ。
特番やBSを見たいばかりに高い受信料を払っているんですけど・・・
歴史上大事な今若.乙若をすっぽり抜かしたのには本当にびっくり。頼朝の人となりも又違って書けたと思うしドラマ自体が違う方向へ行ったと思うのですが、熊野水軍が源氏に味方する理由ももっと隠された事実があったと思うのですが、全部パスな上に漫画ですものね〜
核になるものが「情」であるなら尚歴史を徹底的に調べるべきでしたが時間の壁を超えられなかったか!
これは脚本にも問題ありです。またチェックできなかったスタッフにも責任あります。そして何より必死で応援した私にも・・・(大泣)
でも最後まで応援しま〜す。
コメント by patra — 2005/10/4 火曜日 @ 6:42:23
大河 義経 39回 「涙の腰越状」
「殿への鎌倉どのの誠が見えませぬ。」
「時には情というものをお捨てになられませ!」
堰を切ったように今まで心の奥に無理やり押し込めていた思いを、悲痛な叫びにも似た感情を 義経にぶつける弁慶。
やっと、やっと弁慶の思いのありったけが聞けました。
義経と弁….
トラックバック by ■■■花壇日記■■■ — 2005/10/5 水曜日 @ 3:34:20
義経39回「涙の腰越状」
寄せる波、返す波、寄せる兄への想い、返ってはこぬ兄からの言葉。碧い海の面を渡る波ならば、寄せれば返ってくるものを、返らぬは兄頼朝殿の情け。
海の色を映す義経の瞳にあるのは虚ろ。心は海の碧さより深い色に沈んでいるのでしょう。ぽつねんと独り座す後ろ姿の寂しきこ…
トラックバック by Snow*flakes — 2005/10/5 水曜日 @ 7:45:40
こんばんは、patraさま。
私も大姫と会うことを断る義経を矛盾とは感じませんでした。人の行動って、たとえその人の性格があっても一様ではないと思うのです。
状況によっていくらでも左右される、自分にさえ見えないのが心というものなのかと。
あと10回、義経主従がどこに着地点をみつけるのか、最後まで見守りつつ、応援していきたいと思います。
コメント by 雪芽 — 2005/10/5 水曜日 @ 20:47:34
雪芽さん
紺碧色のサイトへ伺うとホっとします。
義経さんが海をひとり眺めていた後ろ姿・・・心情が溢れ出ていましたね。
腰越状を読む滝沢君の声がせめて回想に重なっていたら・・・
誰でも思うそんな事が叶わない厚い壁とは・・組織が大きいだけに、さまざまな形があらゆる所へ波及するのでしょう。
滝沢君、良くなっています。どんな風に終わろうと一緒に応援しましょう。
コメント by patra — 2005/10/5 水曜日 @ 22:31:37
patraさま、途中から非難する記事しか書けなくなってしまってごめんなさい。
でも義経が好き、黛監督の美学が好き、だからこそ、思い入れて見ているし、最後まで描き切って欲しいのです。
「滅びるのではない、自分の道を探す旅なのだ」
悲劇にはしたくないという滝沢君の解釈に私も頷くのです。
>組織の厚い壁
どうぞ黛監督の美学だけは妥協させないで下さい。
レンタルビデオ屋さんで、NHK大河が置いてあるお店を見つけました。真っ先に借りて帰ったのは、花の乱です。
朱色の五条橋に大きな満月!も既に顕在でした。
コメント by あじさい — 2005/10/6 木曜日 @ 0:36:46
エラーになったのでやり直したら、2回入ってる!すみません。
コメント by あじさい — 2005/10/6 木曜日 @ 0:59:20
今日は昨日から冷蔵庫と格闘していてしつれいしました。
ダブっていたコメント消すのが遅れて心配、おかけてしまいましたね。
「花の乱」は三田さんですね。彼女女子美中学の同級生なんですよ〜
監督は平安時代が大好きなのだそうですが、その頃は仕事ばかり忙しく全くお名前も知らず「大河」も見ていない私ですから不思議です。
美学は=数字の場合が多く難儀な事です。妥協しない為にキャステイングも含め細心の注意を払って挑んでいらしたのを良く存じ上げています。
昨夜、元気なお声を聞きましたので少しホっとしました。
コメント by patra — 2005/10/6 木曜日 @ 5:02:32