PTSD
どうやら、やっとビスケットやお粥をたベられたらしい新潟中部地震、奇蹟の生還坊や優太君にホっとする。病院の方針だから素人は何も言えないが、案外元気そうだったので翌日あたりメロンのジュースくらい飲ませてあげて欲しいなぁ〜、とお節介にも思った私である。閉じ込められて居た恐怖なんかは2歳児は案外まだ理解せずに、なぜメロンやスイカをくれないのだろう、とかお饅頭〜〜〜いっぱい食べたいよ〜何故たべさせてくれないの?とかの飢餓感の方が余ほどPTSD(心的外傷ストレス)になるんじゃないか!ジュースにして少しあげるくらいは別に障りはないだろうにと心配した。というのも
昔、10歳で交通事故にあった息子はICU(集中治療室)に居た時に出される食事をどうしても食べない。それではと家から運んだのだが、先生方には厳しく注意された。理由は我が儘になるから決められた食事をきちんと食べさせなさい。勿論、十分に分かっていたが、何といっても大変な傷と闘っているのだから時と場合に依る、こんな時こそ美味しい手づくりでまず食べてもらうほうが先決だろう!躾は身体が直ってからで間にあうはずだ、と頑としてここは譲らず、一番厳しい小児科医長と喧嘩してまで食事をICUへ運んだものだった。10歳の少年が「死んだほうが益し・・・」と口に出すなぞ尋常な世界じゃ無い状態なのだ。身動き一つ出来ずに全身ミイラ人間のようにギブスに捲かれているのだから、せめて食の楽しみで精神を安定させたかったのだ。
3食オカズを運ぶうち、すっかり呆れ返った外科クルーの先生達は黙認してくれた。
まだ心的外傷ストレスなんて言葉はなかった時代だが、母親の本能みたいなものが病院だけに任せていたら、この子はダメになる・・・そう確信したのだ。面会時間が決められているのにも拘らず朝、昼、晩と完全看護という建て前の規則を破ってまで日参して励ましつづけた。
するとある日、遊園地での事故で運ばれた一人の坊やが酷い怪我で、母親らしき人が「こわい、こわい」とどうしても面会出来ずに戸口にしゃがみ込む姿に、小児科医長が私を指差し「あのお母さんを見習いなさい、お母さんがしっかりしなければお子さんは良くなりませんよ!」と叱り飛ばした。先生の目を盗んでは病室に潜り込む私を何時も目のかたきにしていた先生なのに・・・<おぉ、やっと分かってくれたのね、母のがむしゃらな底力を>内心そう思った。
つまり今度の坊やのことも、そのがむしゃらにでも護ってくれる肝心要の母性が消えたことが何よりせつない。ジュース、ジュースと言う子にこっそり嘗めさせてあげる本能で守るものの存在が・・・・もういないのだから。
kyoくんに聞いてみたら、「あの差し入れはおいしかったな〜。かなり励まされたよ。」と言っていました!
コメント by わびすけ — 2004/10/30 土曜日 @ 12:56:37
そりゃ病院としては腸内に出血がないことを確認しないと飲み物あげられないんじゃない?
う〜ん、昔入院してた頃の食事に関しては、あっちこっち迷惑かけてゴメン!というかんじ。
その後もいくつかの病院に入院したことあるけど、他の病院の食事はどれもおいしく食べられるんだけどね、あの病院だけ特別だったのだろうか・・・それとも口の中に事故の味が残っていたのかな。
それにしても「死んだ方がマシ」なんてバチ当たりなこと言ってないでしょ!?
コメント by kyo — 2004/10/30 土曜日 @ 13:32:27
「もうお水は飽きた」と水のストローをくわえて、飲まずにいる。そう言うコメントがTVで流れたから思った事ですよ。
水が飲めるなら腸の怪我ではないでしょう?
君の高熱でうなされて居た10歳の頃の言葉は封印しておいたのだった(笑)
一緒に死んで、とまで言われました。
あの時の想像を絶する怪我で食欲があるほうが不思議だから、それは、食事の質とは別問題です・・・。>お二人さん。命あってこうして縁があって一緒で良かったな〜と思います。
コメント by patra — 2004/10/31 日曜日 @ 0:45:08
もちろん兄貴の名誉のために言うけどさー
事故後の3週間くらいの「うわごと」だからね、無理もないさ。
ICUに3ヶ月も居たんだよ、常識を越えてたよ。
コメント by jovanni — 2004/10/31 日曜日 @ 1:41:21