2010/3/22 月曜日

花、てがみ

Filed under: 日々雑感, — patra @ 13:53:28

CIMG6343CIMG6344まず整理するのは書類や手紙類、そんな中、アメリカの友人からの手紙があった。メールを出してももう返事も無い。電話番号も無くしてしまっていたのに、ひょいと出て来た手紙。「友情を感謝・・・」と結ばれていたが私こそ、ここ何年かの入退院ですごくご無沙汰してしまっている。
たくさんの思い遣りを頂いていたのに、音信が途絶えるのは、きっと私の方にこそ問題だ。
忙しいとは心を亡くす。遠い異国の様々な友情にブログを通してだけしか関われなかったのはいかにも怠慢。自分からの努力が足らなかったと思う。
いつも、いつも好意をよせてくださる事に甘えていたのを突然、気づかされた。
この誠意ある手紙に果たして返事を出したのか?

大切なものを無くしてしまいそうな、いえ、なくしてしまったかもしれない。日常のこの山のような雑事に青息吐息は情けなさ過ぎだが、ここで諦めては駄目。しばらく不義理でも。やるべき仕事、せっせと整理の手を休めず進むしか無い。


もやしラーメン

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 0:22:54

CIMG6502CIMG6501どうもデジカメの具合が悪い。まず写真サイズが、いつの間にか大きくなってしまった。何度設定しなおしても初期設定にならず、サイズが小さくならない。これでは電池がすぐ無くなるわけだ。突然,設定が変わってしまう理由が分らない。変な音までするし。
iphoneで写そうと思ったら、あら?カメラアイコンが変わっている。しかも何故かセピアになってしまう。でもマニュアル本を見るのに眼鏡が無い。裸眼がどうもこの頃、遂に目出度く老眼になったらしく読み難いので放置したまんま。
母がラーメンのCMを見て食べたがったので急遽作る。スープの用意が間に合わないので、チキンスープ、鰹出汁、中華スープと3種類をお水に放り込んでから,野菜を炒めます。椎茸と人参、これにモヤシとニラ。同時進行で中華ちぢれ麺を茹でて、そうそうゆで卵を一番初めに作っておいたのだった。殻むいて醤油に漬けておく。
そして出来ました。野菜はトッピング。シャキシャキしたもやしとツルツルな麺と混合スープ、玉子に煮たチャーシューで一応それらしく出来ました。半分より少ない麺ですが母は大喜びです。
写真がボケてるし、拡大できないのは困りものですが,記録です。


2010/3/21 日曜日

やっと三分の一だけ

Filed under: 家族,料理 — patra @ 9:26:10

CIMG6491CIMG6485いよいよ胃袋の小さくなった母、「あら〜今夜は又,目先が変わって美味しそう♪」
目では大喜びしたポークソテーですがもう半分もお腹には入りません。
「無理しないで、」と声かける。今まで普通の若い人並みに食べられた方が不思議だった。過去のポークソテーをチェックしてグラムを減らしてもこれだ。1年前よりに,確実に食は落ちている。
ナイフとフォークで器用に林檎のソースを載せながら食べるポークソテーやホウレン草のソテーは去年までは完食だったが、もういかんせん胃が小さくなっています。残したお肉を細かく切って小皿に取りおいて置く。明日のお昼,残った野菜と一緒に微塵にしてピラフにでもしましょう。
一切れを二人で分ける・・・それだと私には少し足らないので次の日の応用が効くものが献立に乗り易い。が、母と同じ量なら確実に痩せるのにな、と逆効果な1食主義を自嘲。
トーストは半分。コーンスープも半分づつ。何より今のストレス多い暮らしを終えたいものだ。


花と心配な風

Filed under: 日々雑感, — patra @ 0:07:12

CIMG6495CIMG6498外は風が強いらしい。らしい、というのは高いビルで3方を取り囲まれた我が家ではピクリともしないからです。時折,裏の工事現場が何やら大きい音をさせるだけ・・・
困ったな〜今度引っ越す場所は諸に風の被害を受けそうな高層だ。
「はっきり言って揺れます」と断言された。花見時期は煩く、この何年か隣りにもマンションが建つ。
誰がこんな悪条件の真直中へ引っ越すだろうか。最悪の選択だ。
全てが旨く治まるという人生は私には無縁なのだ。母の今受けてる介護サービスのエリアを選んだ結果だが、当てにしていたマンションの大幅な開発の遅れも響いている。これは幾ら何でも大誤算だった。空亡の決断は凶を身を持って立証することになってしまった。しかし、たった1年弱での住居探しは、はっきり言って時間が足りないのも事実です。

日当り,日当りと姉が大騒ぎして勧めてくれたマンションだが、むしろ日当り良過ぎてUVカットのフィルムを貼らなきゃならず呆然。 二重ガラスにUVカット処理をしてあるか?確認しわすれたのだ。鍵といい問題が未だクリアーにはなっていない所にこの強風だ。
何もかも極端から極端な人生に、つくづく「中庸」が欲しいのにと溜息をつく。
花だけが喜ぶかもしれない。窓辺があると花は育つ、とそれだけが今は慰めです。しかし,風の日に揺れるって部屋に住まうとは脳に悪いだろうな〜と思う。猫ちゃんんもパニクるだろうし・・・


2010/3/20 土曜日

目からウロコ

Filed under: 人物,日々雑感,時代 — patra @ 14:16:47

正直いってさっきは驚いた。なるほど!とも思う。こんな呟きを読んだのです。
「 Tomohiko_Yoneda
僕にも今年95歳になる祖母がおり、誇りですねw 彼女は福岡から疎開した佐賀でキノコ雲を見たそう。すごい経験 RT @munetakanyc: 今年32になる僕にまだおばあちゃんが二人いる事。これ以上の自慢はないと思う。自分はきっと幸せ者だと#kizuku 」

このやりとりから透けてみえる家族の背景にある老人への尊厳がすばらしいと思った。何も知らなくとも透けてみえる。

私が21才くらいの時に祖母92才、大伯父76才くらいを相次いで亡くしていたが、呆気ない感情しか持てないほどの教育しか両親は示してはいなかった。同居する老人も居なかったから学ぶチャンスを逸していた。
僅かに14才から18才の夏、祖母がお目付役で夏の海の家を借りて共同生活をした時代に僅かな老人経験がある。
日々のお惣菜の工夫に老人は賢い!と思った。蛇が出て来ても嵐が来ても驚かない度胸を不思議だった。が自慢とは思わなかった娘だった。

祖父母が健在で尚其の事を「誇り、自慢、」とサラリと伝えられる意識は非常に大切な頼もしい感情です。

先日、美女対談で女優の秋吉久美子さんが定理した
「もしかして,人間はもっとも不得手なものこそ、修行させられる運命なのかもしれない。」と話していたときも、そうかもしれない!と膝を叩いた。

学校では教えてくれない精神、老人を誇りです、とさらっと言える人間性は、それはを育む家族の暮らしの中から伝わるものでしかないのです。
今の時代にこんな気持ち良い言葉をみつけられた事、twitterをやっていて良かった〜とつくづく思ったので記録しておきました。人格が透けてみえる呟きに遭遇するのがうれしい。
男が優しい目線を持たなければ,世の女性は育たない・・・と言うことも,敢えて付け加えておきましょう。

追記
男の子が老人に優しい目線が出来る!!・・・と言う意味です。蛇足ながら、むやみに女性に優しいという話では無い。


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