2010/6/16 水曜日

カロリーと闘う

Filed under: 家族,料理,日々雑感 — patra @ 2:20:17

CIMG7326IMG_0551IMG_0546「ほぼ日」の糸井さんも首の細い腺病質な感じの青年だった。だったと過去形にして申し訳ないけど、写真で見る限り首、太くなってます。そしたらダイエットを始められた。
危険なんですね、若い頃より20キロも太るのは・・・健康的には。殿方だってダイエットの時代です。
昔を知っている友人が私を見たら驚くとおもう。38キロだったのですよ!。今やグラマラスなので誰も私とは思わないでしょう(笑)
骨折した時は多分、56キロぐらいだったと思います。骨が38キロの時の侭ですからね、重みに耐えかねたのでしょう。両足とも折りました。しかも2度。
なので食事で痩せなくてはいけないのに運動出来ない,歩かないでどうしても50キロ以下になりません。46キロが理想ですがせめて48キロにしたいのです。これが至難なのです。
「ビールを飲んでたら痩せない」と言われたのでピタリと止めて、顔が締まってきたと喜んでいたのに50キロに落ちたと思ったのにリバウンド。
ついお付き合いでソフトクリームとかシュウクリームに手を伸ばしたせいか又も丸い顔。

何で?と思ったらCCレモンの40カロリーの読み間違いを整形の先生に指摘された。『100ミリグラム40カロリーの表示は目安、この缶200ミリグラム以上はありますよ!』
え〜〜!!びっくり、ビタミンCの補給と思いせっせと飲んでいたせいです。日に3本も。

3ヶ月の努力が水泡に帰した瞬間でした。あれもこれも駄目!と言う先生が恨めしや。トンカツもチーズも駄目だそうです。甘い物は禁止。
しかし車椅子生活ならば、血管の弾力性がなくなるのは危険、骨にも負担がかかるので確かに太ってはいけないのに痩せない。
なので懸命に頑張ろうと思うのです。
納豆オクラ、お魚も半分、これで痩せなかったら泣く・・・代謝の衰え尋常ならずに、我ながら年だな、と笑ってしまう。

「本当に痩せてたのよ〜昔は!」と良く話してた叔母さま方を思い出しながら信じなかった無礼を詫びたいこの頃です。
私が太り始めたのは53過ぎからです。それまでは食べても全然太らなかったので油断してしまいました。油断大敵です。


2010/6/15 火曜日

勝つサンドにスッポンで気合い

Filed under: 家族,料理,時代 — patra @ 1:26:07

IMG_0541CIMG7318元気が無い日本に一体感が産まれるのはスポーツに限る。だから昼に「ゲン」を担いで勝つぞ,サンド。カロリーが高い、と整形の先生に注意されましたけどね、気持ちから応援です。
そして夜はカロリー控えめにスッポンスープと卵のシャバシャバな薄い雑炊。お腹減っても必死で我慢。
そしたら勝てくれました。サムライジャパン。うれしいな。
実は願掛けでもあったのです。勝てたら、もし勝てたら姉も頑張れるかも・・・明日、もう今日だけど
お婿さんと相談し母は見舞いを止めました。今一番苦しい治療なので。だから日本の1勝、すごく嬉しい。


2010/6/14 月曜日

成る程・・・

Filed under: 家族,料理,日々雑感 — patra @ 1:17:01

CIMG7303CIMG7307IMG_0532考えてみたら,母のここ8年程の食欲は異常でした。若者並みにお肉を食べたがる・・・
それが昨日は「食べたくないのよ、なぜだろう・・・」と本人もショボンとする。
あれ程好きだったお肉、不思議だと思ったが、あ〜そう言う事か!とある現象に気がつきました。

父の亡くなる1年前だから。今から8年前、彼女は人工股関節の手術(両足2回づつ計4回)の後、一番最後の右足の骨を採取したところが膿んで感染症を起こしていたのです。
消毒するしか方法が無いので8年間東大へひたすら通い,更にお風呂後、訪問看護士さんに消毒して頂く日々が春まで続いてました。
8年間もの長き日々です。その傷が遂に塞がってしまったのです。
毎日流れ出てしまう血液で貧血になっていた母にお医者は「栄養、栄養を取りなさい」と言い続けていました。
傷が塞がればかえって危険!と迄、言われていたのに熱も出ません。もしや感染症の黴菌に母の栄養たっぷり体力が勝ったのならば?直ったのかもしれません。
だったら、もう若者みたいに食べて貧血と闘わなくとも良いのでは?経済も助かるぞ。

一方、裏の工事で発病した胃がんの方は着実に胃の上部と下部で腫瘍を大きく育ててしまっていたのでしょう。嚥下障害がはじまりました。
前のように必死にタンパク質を補給せずにお粥と鰹節くらい、温泉タマゴくらいでも佳しとしないと・・・一つ坂を超え、もう一つの危機か?と思ったが,慌てずに無テカツ流で行こう。「絶対に恐いから手術しない」と今は言ってますが苦しくなって当人が求めるならば、其の時考えましょう。

「私、お饅頭ならたべられそう・・」ふんふんと聞き流す私です。
フレンチトーストとカッテージチーズは少し召し上がりました。
(写真のお皿は同じですが大小です。)


2010/6/13 日曜日

鯵料理、まさかの2連

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 2:38:34

CIMG7276CIMG7283危ない最近の私。料理だけは真面目にやってきたのに、ここへ来て頭打ち。
今までのように自由にメニューが思い浮かばない。昨日が鯵のソテーと胡麻豆腐だったので、解凍しておいたお肉を母に却下された所で,献立が固まってしまった。

仕方ない,昨日仕込んだ鯵のマリネ、これでお粥?と思ったが・・・CIMG7294CIMG7292出して見たら、案の定、母やっぱり一口だけ・・・
あれほど好きだったローストビーフが食べたく無い。
食べたいのはお粥だけ・・・それならもう好きにして!と私だけ鯵のマリネにイカの梅肉和えや茄子とかで食べていると「せっかく作ってくれたのに、すまないわね〜」と恐縮してました。
毎日飽きるまで兎に角お粥と味噌汁だけは作って置きましょう。
バナナも嫌、林檎も嫌、「ソフトクリームが美味しかった」とドンドン嗜好が変化する母が、いかに今まで良く食べてくれていたか!を改めて思いました。
この侭病気が進んだらどうなることでしょう?豈図らんや心配はありません。
今月末に又、5日程、老人保健施設にショートに行きます。ここを気に要ってくれてホっとしてます。イザとなっても何とかなるでしょう。

私の気合いが全然入らないことの方が重症だと思う・・・
最近の妄想は駅弁です。でも食べたら不味いのについ妄想しちゃう,汽車の旅(笑)


2010/6/12 土曜日

祈りを込めて

Filed under: 家族, — patra @ 2:52:52

CIMG7285どうしようかとずーっと悩んでいます。来なくて良いと言われている姉の病院へ母を行かせたいのです。付き添いは自費でヘルパーさんを頼みます。
でも、泣いたりされたら姉が辛いだろうし・・・この所その事で頭が一杯です。
姉は自宅療養が望みらしいのですが、姉の娘メグが病院にさえ入っていれば直ると信じ、泣いて懇願するので仕方がないのだ・・・と母に先月は一次退院のときに電話で話してくれたそうです。
あれからひと月も経たぬ内に痛みが出てしまい再度入院になってしまったのです。
「絶対泣かない、具合わるそうだったらすぐ帰ってくる・・・」
口を一文字に結んで母が健気に頼むので、皆さんと相談し火曜日に行かせることにしました。
電話をしても病院は守秘義務が凄く病室さえ教えてくれません。
まさか、実の母親を門前払いはしないだろう・・・と意見一致。
姉のご主人も教えてくれません。
こんな事で非常に悩んだ数日でした。一切の情報が入らないので成す術が無かったのですが、決定しました。


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