2010/7/29 木曜日

冷やし中華もどきとか

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 2:40:58

CIMG7683IMG_0872確かに暑い時のしかも一人ご飯は簡単になってしまいます。
2度の骨折のダメージから回復に時間がかかっている私は、しっかり食べて尚、体重を増やさないを徹底しないといけません。
息子に「ビールを飲んでいるようじゃ痩せないよ」と言われ春からピタっと飲んでいません。
そしたら、さっき電話で「素麺は油を使って練ってるからカロリー高い、太るよ」
もう,一体私は何を食べればよいのでしょうか?ぐれちゃう。
IMG_08731日2食、こんな感じで食べています。
野菜ばかりにしたいけど血管を強くするためには蛋白質も重要です。
豚肉やピータンの冷やし中華。半玉の麺。鶏レバーなどで鉄分補給・・・とにかく頑張ってはいます。

運動できないというのは恐ろしいことです。皆さんは幸せな中で汗かいているんですよ,本当は。


2010/7/28 水曜日

素麺は優れもの

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 3:25:02

CIMG7680CIMG7678以前ブログに素麺は子供は食べさせて貰えなかった!・・・と書いたら若い30代後半から、親に聴いてもそんな事は無かった!と言われました。そう呆れられたのですが,東京の昭和30年代の話です。東京オリンピックの前,確実に東京は貧しかったのです。あるいは慎ましかったと言った方が良いかな。
素麺が子供の食卓には乗らなかった。
母が毎日食べてくれた素麺、その残を食べました。おいしい。
これで元気になるなら安い,素晴らしい夏の食べ物ですね。ショートステイでは、果たして素麺は出るのかしら?出るとしたら日本は豊なんだ・・・


2010/7/27 火曜日

胸が痛い

Filed under: 日々雑感 — patra @ 16:33:19

CIMG7673咳、それも空咳ばかり出て、しかも胸の奥が痛い。これは致命的だわい!と思う。
母がショートステイに出かけたので初日だけはゆっくり休もう・・・
残り物のカレーを食べて寝ちゃおう。


捗らない家具配置・・

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 1:08:59

CIMG7650CIMG7667CIMG7669CIMG7671姉が亡くなっても未だに実感が湧かないが、ご主人から位牌に使った写真が送られて来たので、やっぱりそうなのか・・・と。
真っ赤なフレームに入って来たので窓際の赤い鉢植えの側に置いてみる。ピッタリ収まった。

ウイスキーを飲みながら引っ越し先の図面を拡げ、レイアウトを考える。
中々ピンと来ない。この変形の東南を是非!と決めたのは姉なのだが、非常に難しい。図面の縮尺に合わせて切った家具のサイズを此処かな?それともコッチ!?と動かしてみるがキマラない。

この大きいガラスから夏の太陽が燦々と入るのか?と思っただけでゾっとする。さぞ夏は暑いだろう・・・・
目をあげると窓際の姉の写真が、ご主人の選んだ真っ赤なフレームのせいで、嫌いだと言ってた赤い鉢植えの側に鎮座している。何だか皮肉だな〜〜
ウィスキーのグラスを掲げてからクイっと一気に飲み干してみる。
巧くも何とも無いし答えも天から溢れて来ない。
さて、本当にどうやったら効果的なのか、何度も開いては虚しく閉じる図面からは何のアイディアも浮かばない。最も得意分野なのに、一体私はどうしてしまったのだろうか。所謂これがスランプだな。

又も図面を閉じてしまった・・・。UVカット加工が兎に角、何より絶対に必要だ。


2010/7/26 月曜日

良き夜に・・・

Filed under: 家族,料理,日々雑感 — patra @ 4:02:03

CIMG7658CIMG7664CIMG7663CIMG7662CIMG7665老人に過酷かな?と思った猛暑も、今まで過去に過ごして来た方法の氷とアイスノン、塩を少し多めの食事等で様子をみたら母、元気になりました。DMで、私のがんばりを励まして下さる方も居たりでとても心強く嬉しかった。

老人の病院事情は非常に困難に成って来ています。昔のようにはいきません。救急で運ばれる急性期の病気は目安がつけば大体3ヶ月くらいで他へ移らなければなりません。脳梗塞等、その後のリハビリが必要でも受け入れてくれる病院は3ヶ月まで、老人医療施設「老健」も同じ・・・この老健の仕組みは療養型では無いので万一命に関わる時は提携する老人病院へ行かなくてはなりません。個室であれば直ぐ受け入れてもらえる療養型老人病院の経営事情が真にアカラサマな東京です。

我々家族は常に老人を受け入れてくれる療養型施設を探さなければならない不安が付きまといます。
私が親と暮らす決意をしたのも、あらゆる施設を調べた結果、母にも娘にも完全に満足する仕組みが見つからなかったからです。
有料老人ホームに入れる資産が無いのはもちろんですが、どんなに良い施設でも家でワイワイ言い合ってでも普通に暮らす事より良い結果が得られるとは思えなかったからですが・・・

一緒に暮らすことで、母は65才から様々な病気を克服し、病院から受けてしまった医療ミスにも係わらず
92才で未だ元気に闘っています。昔だったら当たり前の方法、家族と一緒という原始的な方法ですが・・・
訪問看護、訪問医療、家事援助という一昔では考えられない良い制度も出来ています。
日本人の昔から培った「自主、自立」と言う自己完結能力も活かしながら臨機応変にやっていこうと思います。
母が
「おいしかったわ〜。まるで胃なんか何処も悪く無いみたい」と喜ぶ日。
しかし手強いのは癌ですからね、油断せずに受け入れて行くしか無い・・・がんばりましょう。


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