変・・・なんか変。
荒川静香さんが日本に帰ってきたので
思いきりシッポ振って歓迎しようと思ったら
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「これが本当の恋だったのか・・・今までは恋をしらなかった」
この何ともドラマチックな言葉を初めてバルテュスと出会った時に、勝新太郎さんがつぶやいたそうだ。
まるで磁石がひきつけあうように、出会うべくして出会う!とは人に限ることだけでは無いらしい。
画家バルテュスとその美しい、節子夫人にはある種、共通した魔法の力とでも呼びたい波動をお持ちのようだ。
グラン・シャレ・・と呼ばれる、スイスの最も古い木造りの旅籠を見学に行き節子夫人は一目みて後ろにつづくバルテュスを振り返り「この館に住みましょう」とまるで運命を予知するかのように言うのです。
その館の壁面には聖書の箴言が刻まれているのです。
どのような経緯でこのグラン・シャレがお二人のお住いになるかは読んでお楽しみください。
イタリアの古城との出会いも含めそちこちに宝石のようにちりばめられているエピソードの数々はまるで魔法のように我々の心を捉えます。
お二人の手にかかると集まる全てが新しい息を吹き込まれて蘇るのです。イタリアでスイスで京都で運命の出会いが、バルデュスが92才で亡くなるまでの思い出を節子夫人の美しい日本語で綴られています。
御伽草子を開いているような「これが恋・・」そんな心地良さで溢れています。
側に置いておきたい1册ですが表紙は自分で造ってみるつもり。そんな気にさせる「グラン・シャレ夢の刻」世界文化社から著者 節子・クロソフスカ・ド・ローラ
子供の頃からショウ好きだったらしく後楽園にサーカスがかかると何時の間にか私の姿が消えたそうです。昭和27年頃の日本は貧しくサーカスといっても木ノ下サーカスと柴田サーカスしか無い空中ブランコのスター瞳さんも一朗さんもバレエシューズ等持たずに足袋を履いてました。それからどんどん衣装が綺麗になって白いタイツやピンクのチュチュにバレエシューズも履くようになってゆくのを毎年見に独りで出かける私は変な小学生だったのだろう。
中学になった頃、アメリカン大サーカスが日本へやってきてその衣装の綺麗さに腰を抜かしたのがきっかけでハリウッド映画にも夢中になります。日本へ来るサーカスはモスクアもボリショイも全部観にでかけるくらいショウが好きなのは夢のある衣装のせいでしょうか。
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スタンディング・オベーションと拍手の中で演技を終わった荒川選手 がほんとうにきれいに見えて
あらためて日本人の体型の美しくなったことや衣装のレベルが世界水準なのが嬉しく涙が出そうになりました。
191、34の高得点にこれは期待できるぞ・・・と想ったらスルツカヤ選手の点も伸びずサーシャ・コーエン選手はジャンプに失敗し、ついに念願の金メダルが荒川選手の胸に輝きました。
技に加えて美も競うフィギュアスケートでこれほど凛々しく美しい日本女性の晴れ晴れとした笑顔を見ることができて朝から興奮、何度も映像に向って拍手しました。
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粒ぞろいの選手の中で衣装で一番私が好きだったのは王道だけどピンクのグラデ−ションのフィンランドの17才・・名前は忘れたけどお人形さんみたいでシンプルできれい。
目立ったのは黒のレオタードに金のリボンが巻いてあるような大胆なコスチュームや、ト−ランドットの音楽に合わせショッキングピンクの派手な衣装で臨み回転で失敗したロシアのナソコロア選手・・ぜい肉付き過ぎかな。
ハンガリーのビクトリアバック選手の白と黒の衣装・・白鳥をイメージ。清潔でしかもセクシーと目移りしそうな華やかさだった。
金メダル候補のスルツカヤ選手は全身濃紺のグラデーションに花火模様のレオタード姿で完璧な演技。脚を見せないボーイッシュなスタイルだったが見劣りなしは流石。
荒川選手は赤い衣装に白いアクセントを首から中央に↓のように入れてシャープさを強調し、演技は落ち着いていて素晴らしかった。彼女はいつも衣装が似合っている。
ハンガリーのユリア・セバスチャン選手は背中の見せかたが素晴らしくシースルーを上手にデザインしている。
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