歩み寄る心・・
「いや、母さんは無邪気なだけだよ、悪気はないんだから、そう一々突っかかるなよ」今となると叱った俺のほうが堪忍が不足だった・・
そう言っているような父の写真。生きていたら今日が94才の誕生日。
確かにそうかも知れない。善く考えてみたら怒る感情は自分の都合なのだ。
自由闊達に、行けるならばどこへでも好きにゆく自由は母にある・・仮に行き先も言わずに外出して、不幸にも怪我やトラブルに遇ったとしても、それは母の運命である。すぐに助けに飛び出して行けない我が身自身を忌々しく想っても別に母に罪があるわけじゃないのだ。
伯父友松円諦老師の説くCD版「般若心経」を何度も繰り返し聴きくうち、心の修行を一言でいうなら「修行には何も難しい事は一つも無い、夫は妻を拝み妻は夫を拝む、子は母を拝み母は子を拝む、上司は部下を拝み部下は上司を拝む・・お互いを思い遣る心こそが重要だった・・・
「共同生活なんだから、心配している者の身にもなってよ!!」そう激しく毒吐いた言葉の中に「自分」の事しか考えていない自分がいる。
みっともない、とか恥ずかしいとか
「無事に戻って良かった、でも心配だからちゃんと伝えてね」
そう言える私だったら・・・少しも母は隠し事せずに堂々と行き先を言う筈だ。結局すべての理には結果と因果の法則があるんだな。
晩年、ほんとに仏のように穏やかになった父は、長い時間をかけて己の非を悟ることで母を理解できたのだろう。
「良く叱られたけど、お前は謝るから良い、そう父さんに言われたのよ、だから今度だけ許してね」ええ、ええ許しますともさ。そしてこちらこそ。