2005/10/26 水曜日

赤に憶う・・

Filed under: 家族,日々雑感 タグ: — patra @ 2:16:55

赤のキャニスター
家の名義を書き換えた。

table_3

この写真を映した1週間後、ココにゃんが亡くなり

赤
2年後に父が亡くなった。

rouges

一緒に住むようになって窓が無く色が無いのは寂しい・・と私が強引にカラフルにしちゃった場所・・
何も言わないで我慢してくれた明治生まれの父、内心、イヤだったにちがいない。

赤のある棚でもこの場所が一番好きだったみたい
自分の部屋より遥かに長い時間この棚の横に座ってTVを見ていた殿・・・
サッカーだけ家族共通の趣味だったなぁ
もっといっしょに菊正を酌み交わし話を一杯すれば良かった、とちょっとセンチになった晩。


  1. お父さんは・・・うちのお父さんも、娘が好きなことしてるのが嬉しいんだとおもう。
    だから赤のお部屋はきっとお父さんも嬉しかったんだと思う。
    うちの父の畑には、私の好きな野菜がどんどん植えられて
    遊びに来るとごろんと寝転がって間接照明が暗いとか文句いうけれど。
    持ってきてくれる野菜は全部洗って、すぐにサラダに出来るようジップバックに分けてある。水菜も春菊もサラダが好きだから、やわらかいとこだけもってくる。
    おとうさん、一緒に住めて嬉しかったと思う。もうそれだけで。
    娘はおとうさんと一緒に住むべきだ。きっと私も。

    コメント by みさちん — 2005/10/27 木曜日 @ 22:59:34

  2. わわわ・・
    みさちん
    泣きそうに、いや完全に泣いたかも(笑)
    父さんは絶対に私が一緒に住んであげなかったら鬱になっていたと思う・・自負。

    酒の肴とかお皿に載せる量とか阿吽でしたからねっ、ことばは要らない。

    みさちんのお父さんの野菜に込める愛情ったら泣かせます。
    >娘はおとうさんと一緒に住むべきだ。きっと私も。
    ・・ここで大泣き。
    しかし君はいい女に成ったな〜
    空ちゃんも実に素敵な女性になっていたけどみさちんも絵と子育てと気持ちの成長に目見張るおもいですよ〜

    今日は1周忌のホテルが決った日、池波正太郎に肖って「天麩羅」で菊正で♪

    コメント by patra — 2005/10/27 木曜日 @ 23:27:22

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