困を脱す喜び
「困」
険(けん)にしてもって説(よろこ)ぶ。
困(くる)しみてその亨(とお)るところを失わざるは、
それ唯(た)だ君子のみか。
[沢水困 たくすいこん]
【訳】
困窮の極みの険難にあっても、乗り切った後の悦びを信じて
やり通すことのできるのは、君子だけである。
しかし、どんな人でも困難から学ぼうとすれば、
苦しみが何を教えているのか会得できるものである。
これを「困学」という。
苦しんで学べないのは小人であり、
小人のままでは困窮を脱することは難しい。
『易経 一日一言』より(致知出版社刊)
敢えてここに司馬さんの言葉を記録します。日本は今まさに「困」のただ中に居るのに自覚さえしていない指導者達は、けっして君子(知者)とは呼べない。未来に展望を持てない国にした罪は無関心・・・という我々小人(無知)でもある。