躾とは
昨日は姉の遺児、姪のメグがきました。相続の問題で司法書士の先生とお会いする為です。母の葬儀以来久しぶりに逢いました。
すごく良い子なので何の問題もないようにみえますが本人は所謂世間の表現では知的障害者、ミス・ダウンです。父親が後見人を指名しておかないとこの先、判断力に問題ありと正式な手続きが無効になる畏れあり、との司法書士さんの判断でしたが、障害にもピンからキリまでです。ひいき目にみてもメグは上の上の障害です。
今の世の中の風潮は過度に知的障害者の権利を守ろうとするあまり、肉親さえ傷つけるような縛りが有ります。
話し合いの中で,多分父親が一番軽い補佐として申告すれば大丈夫だろうとなりましたが・・・その話し合いの間、だまって聞いているメグは、ほとんどの事を理解出来ているのです。
エクレアと紅茶を4人で食べました。ガ.メグは半分だけ食べフォークを置き・・・ジっとしています。
そうか!姉は障害の子が太ってしまいがちになることを戒めてほとんどケーキは食べさせていなかった。
厳しいしつけでした。
「今日はダンスレッスンがあったのでしょう?カロリー消費大丈夫、ね?食べてもいいわよね?」と義兄に聞く私。
せつな過ぎました。司法書士の先生が居なかったら泣いてしまったところでしょう。
「好いよ、食べなさい」
とパパの許しを得て初めて残を嬉しそうに食べ始めるメグ・・・
私達家族はハンディキャップの中で生きてきましたから、あらゆる我慢の辛さは経験してきています。
しかし
親鳥がどんな思いでハンディのある子を育てて来たかは理解していても、小さなエクレアを半分残す自制心のある娘に成長したのはメグ自身の知性でもあります。
この知性を司法や世間はうたがう・・・
躾けることと平行に心も育てる必要がある全てを姉は懸命にやっていたのでしょう。スラリとしていたメグです。
父親とは他人の私は、夫々に遠慮して甘くなってしまいます。
少し太ってきてしまったメグに、鬼のようにはカロリー計算はできない弱さがある私。
結局,お肉好きなメグと夕飯はしませんでした。
もっとも車を運転する義兄は大急ぎで帰って晩酌したい人なのですから。
躾に伴う犠牲・・・二人の背中を見送りながら胸がつまりました。
「あんなに早く姉が逝ってしまうとは誰もおもわなかったわね〜」
「そうだよっ」と義兄。
我々の心に万感の思いが過るのでした。