2008/4/1 火曜日

風にのって届く本

Filed under: 人物,時代 — patra @ 0:06:45

祖父からの授かりもの仏教家友松円諦の孫、俳人でもある谷口摩耶さんの書いた、宗教家円諦の激動の生涯です。お互いの親が従弟同志ですから摩耶さんは私のまたいとこにあたるのでしょうか?ハトコ?このへんがよくわかりませんが。摩耶さんは私より年下ですが実年齢より20くらいも若く見え、結婚された娘さんがいるというのに絶世の美女と評判だった母上似の未だ少女のような方。
文章で伯父の一生を読むとあっという間ですが波乱に満ち、しかも努力を惜しまなかった生涯でした。伯父の印象は私には宗教家というより学者,校長先生の様でした。1927年、語学を極めるために妻子を日本へ残し30代でドイツ、パリへと4年間も留学するのですから見送った奥様、美奈子伯母こそたいしたものです。産まれたばかりの赤子も含め3人の子を預かり夫を送り出す勇気・・・立派。この伯母さまは気っ風が良い江戸好みの和服の似合う気さくな人で大好きでした。摩耶さんの描く伯父の姿は彼女の幼い記憶に写る限りなく優しい伯父、私の知っている伯父は厳しさの中に苦悩も秘めた男らしい姿、と各々の印象が違いますが懐かしく読みました。

もっと深く人間円諦を掘り下げて書いていただくには血脈は、むしろ邪魔なのかもしれません。唐突に息子がパリへ残りたい、そう電話をしてきた20年 前、(伯父は息子が7才くらいの時に亡くなり、初めて告別式を体験したのが伯父の死でした。)あ、円諦伯父さまが耳元で囁いたな・・・そう直感した私で す。この本を書くにあたり摩耶さんは娘さんと、ドイツまで伯父の当時の下宿先ハイデルベルク、ゲーテ通り10番を、地図に無い番地を探し当て訪ねてみたそ うです。伯父との幼い約束を果たすために・・・。学生の頃の私にも「パリのソルボンヌは良いよ」、と口癖のように語ってくれていた伯父ですから、息子の肩 を風になって押してくれた!!そう思うと異郷での不安は消え楽しい想像がふくらみます。いつも勝手にそう考えながら空を仰いで「KYOをよろしく!」など と対話をしていました。摩耶さんもそんな発見をしたのでしょうか。

ゲーテ通リ十番地なり日向ぼこ  摩耶

東京大空襲から立ち上がる東京人の静かな闘いも読み取れる本です。

祖父からの授かりもの―友松圓諦と激動の時代」谷口摩耶 朝日新聞社


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