「何で、今頃、義経なの?」
と、怪訝そうに尋ねるお客さまや親戚の質問にかえって驚いた。我が家は、目下義経ブームなのだが、再「義経」そう不思議な事でもない。考えてみても人は温故知新、古い歴史の中から繰り返し新しい解釈をくわえつつ物でも人でも進歩してきたのである。だから<今さら・・・とか、<それは古いですね!...といった先入観は割合に持たずに一応何でも楽しんでみるのだが。黛監督の「義経」が実に面白い。
賛否両論の配役についても、映像の仕事を長く生業にしてきた私の目には裏事情を割り引いても、とにかく分かり易い。平の清盛の渡哲也さん、影が薄い、違和感という声も有るのだが、新しい価値観としての、「父性」「夫として」「長として」の解釈が出ていて好もしい。、常磐への温情にも、ただ俗世な気持ちだけではない、凛とした、男の理想像のような姿を表現しているようにおもう。あの絶世の美女常磐が、いくら命乞いといえども決して並の殿御には情は寄せないであろう事を、見事に想定としてる。女から視ての男の強さ、逞しさのような書き方だ。女の目から見る清盛には渡哲也さんはピッタリだと思う。今回のキャスティングはだからとても肌理が細かい。源義朝役に、たった1話のみでも美男で有名な加藤雅也さんを起用するくらいだ、目で一瞬に納得させる勢いがあって楽しい。常磐は清盛の命令で一条長成へ嫁ぐわけだが、その人の善い男、一条長成を見るからにお人好し風な蝦子能収さんを当てるなどは大笑い、大いにキャステングの壷にはまった。見た目が分かり易い、出色だと思う。
大体、我が家は老母が見るわけだから「分かりやすい」が何よりなのだが、それにしても一目でお人好しが分かる人相。ピッタリ。公家顔だし。お歯黒も似合う。女優陣にお歯黒と剃り眉では、形相が変わってしまい、現代では見る側にも抵抗があるだろうから、御愛嬌に蝦子さんが代表なんだろう。女から見て蝦子さんは確かに道化風だが、決して下品な風貌では無い。
史実にばかり忠実でも、ドキュメント風でも絵は写って来ないものだ。森の空気感、京の街が違う、などなど挙げればきりがない不満も、何、私は、善く撮っているなぁ、と感心してしまいます。聞く所に依るとハイビジョンカメラはストロボで写す写真のように味気ないくらい、写り過ぎるらしい。今回は着物の汚しも上手く、実際に麻を使っているなど自然でいい。あの時代は庶民も麻が普通だろうから。木綿はもっと後の時代じゃなかったか?子役の二人は天才的だし、何よりあの赤児を選んだのが出色だった。実際は泣いて大変な撮影だったと御本に書いてあったがあれだけの赤児はそうそう見つかるものでは無い、実に可愛い凛々しい赤ちゃんだった。
滝沢君は体型的にも義経にまさにピッタリだ。美しい。
惜しむらくは4話において滝沢君の髷だ。鞍馬に居る頃の13〜14才は、ならば稚児髷にすれば幼さが出て年令の差が出ただろうに、と非常に残念だった。あの環が二っつの髷は絵本でも有名だし・・・
子役の牛若丸が名演だっただけに急に老けて見えるのは損だった。特に五条の大橋では女子と間違えるくらいなのだから多少、白塗りで目元ピンクでも。普段の素顔があまりに綺麗な滝沢君の素地に頼りすぎてカメラの工夫が足らなかったようにも思えるショットがいくつか在ったのだが。
いわゆる固定観念を持たずにこの平成の乱世こそ義経の生き方、現代の親子関係や兄弟の相克、血族の暗雲、悲劇、子と親の絆、別離、同志愛、裏切りと嫉妬、栄枯盛衰、生きる事死ぬ事、どれも、疎かに出来ないテーマであるから今風な表現でも良いとおもう。現在に繋がる人間学だ。それを分かりやすく問い直すテーマなんじゃないか?。別にNHKの肩を持っては居ませんが、様々な不祥事と番組とは切り離して考えられるほど、余裕の大人ではあります。全く歴史を知らない若者が増えた今、滝沢義経、非常に良くやっていると思う。
その他、魅力のある意外性に富んだ人相の役者が沢山出て、監督自身が楽しんでいるように思えるせいか、見る側も楽しい。
暮れに亡くなった父の楽しみにしていた大河ドラマ、人はあっという間に不在という現状に慣れてしまう。人の事を忘れるものだが、この一年、「義経」と共に故人を偲べるなんてとても幸せな事だな、とその事が嬉しい。