母の命日でした。
母は映画通で女学生の頃から洋画ばかり見てました。淑徳女学園で有名なほど、学校を早引きして映画を見に行ってしまう問題児だったそうです。彼女曰く「クーパーはハリウッドより日本で人気が出て、トップスターになったのよ」と良く言ってました。
大ファンでしたから・・・・「モロッコ(外人部隊)」でクーパーとマレーネ・デートリッヒが大ヒットし、何度も見たそうです。
そのせいか?ある時、父は母が病院に入院している時、我々のお守りで上野の映画館に連れて行ってくれた時の映画は漫画映画の後ゲーリークーパーの「外套と短剣」でした。小学生だった私には面白くなかった記憶がありますwきっと父は気になっていたのでしょうね〜
母の口癖の「モロッコ」のクーパーが・・・
昭和27年頃の外套と探検はとても地味な映画だったように記憶しています。
見終わった帰り道、何も言わなかった父でした。
今でも覚えていますが松坂屋の並びにあった映画館でした。
父と映画を見たのはその時と、40年後の「ラスト・エンペラー」を母と私の助手くん3人で観に行った2度だけでした。
あ、思い出した。3回だった。御茶ノ水に住むきっかけになった「天井桟敷の人々」を神田神保町で見た時も入れねばw
帰りにパレスホテルのバーから東京タワーを見ながら巴里の息子に思いを馳せて乾杯しました。