2019/6/25 火曜日

夢の中に父

Filed under: 家族 タグ: — patra @ 12:44:16

何度出てきたことでしょう?
生前は殆どゆっくり会話もしなかったのに不思議です。
夢では楽しそうで台所を片ずけている母や私の側でなんだかんだと話しかけて邪魔します。
そんな事はまず無かったのにw

いつも御茶ノ水の古い父のつくった家の居間で機嫌良さそうな父の姿です。
台所もお風呂場も見兼ねた私が自腹で作り直した場所です。
お直しに反対こそしませんでしたがこんなに嬉しそうに頻繁に出てくるなら褒めてくれれば良かったのにw

あ、思い出した。順天堂に腰痛で父が入院した時直したお風呂は暖房付きで温かい床でしたが
いつもお風呂で唄う歌が一段と大きい声に変わりましたね〜
嬉しかったんでしょう、彼の言葉は
「順天堂の風呂場は寒いぞ、ここは暖かくて楽だね」
素直に決して喜びを言わない明治男でした。

今朝の夢で唐突に思い出した事に父には背広2着しかプレゼントしていませんでした。
どれも高島屋の吊るしです。しかもバーゲン。
その時も「うん」と言っただけ、、、

一つは夏の麻といえば聞こえが良いけど安物でした、色はピンクがかったベージュ、サイズが大きかったので
近所にあった学生服専門のお店からご主人が来てお直ししてくれました。
色は父の夏服の色、但しもう重くて着にくいからと箪笥のこやしでした。
鏡に映る姿に満更でもない色白の父の笑顔、「裾はダブルにしてください」なんてw

けれどその夏服は1度しか着ませんでした。
「お前、あれは幾ら何でも座るとシワだらけで、みっともないから駄目だ」

確かにそうでした。特にズボンは膝まで出てしまう。 
昔の父は神田の仕立て服専門店で紬を背広に誂えていた程のお洒落さんだったのに、孫の事故以来、2度と新調はしませんでしたから。
不甲斐ない娘の稼ぎでは
夏用で、しかも着崩れのしない20万以上の誂えなんか、とうてい無理だったのです。

もう一つの濃いグレイの吊るしは良く着てくれました。90に近い父には軽くて丁度良かったようです。

今もし、父が存命だったらイタリアの生地で軽くて20年着ても着崩れしないスーツを注文し、息子への形見にすべきだったと後悔したのです。父のスーツは何れも重くて時代遅れ、処分してしまいましたから

父が最晩年までクラス会で通った上野ウナギ屋伊豆栄は目の下、昔の中学だった上野高校も直ぐ側ですから
嬉しくなって夢に出てくるのでしょうか。
卒業した昔帝大だった東大は此処の真裏ですからね。
此処に引っ越せたのは

「父上のお陰様です」と私はちゃんと声に出してお伝えしましたよ。


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