合田佐和子さんを偲ぶ会
車椅子なので、まず外出をしない私が「しのぶ会」のご案内を頂き、行こう!と即決したのには、佐和子さんとの深い絆があったからなのです。
ホテルに電話をし、乗り換えるエレベーターで会場に行ける事を確認し、リフト付き車の予約をして、車椅子の足のせ台を探してもらい、と準備を調えて17日を待ちました。
その日は雨・・・それでもマンションの車寄せは屋根がある、ホテルも同様です。問題なく到着し、乗り換えのエレベーターまでボーイさんが案内してくれました。
一人で行く決心でした。万一の時は車のドライバーがエスコートしてくれると約束できたからです。
運良く日曜日だったので普段忙しい友人が一緒に行って車椅子を押してくれました。ラッキー
その当日の写真記録です。
何の問題もなく無事に戻って来ましたが、強いて言えば分厚いホテルの絨毯は、車の滑りが悪く、とても一人では動けにくかったことでしょう。
それに日本人の恥ずかしがる悪い癖は率先して車椅子を押す人が居ない事・・・流石にみどりさんは押してくださったけどw
もっとも一人だったら違っていたかもしれませんが。
会場の入り口で娘さんの合田ノブヨさんとご主人が出迎えてくださり、話には聞いて居た、闘病中の佐和子さんが私宛に名前を書いた封筒を5枚、綺麗な紙に包んで渡して下さった。
あぁ、あの封筒・・・
「よほど、ぱとらさんにお礼が言いたかったのだと思う、一番多かったの」とノブヨさん
でももう文字も書けなくなっていた佐和子さんは宛名だけ小さい字で書いてあり、中はちぎった紙にありがとう・・・と、ただ書いてあるだけだった、と言う封筒です。
受け取っただけで涙が溢れました。
「ありがとう」を言うのが苦手だったという佐和子さんの風吹のようにちぎった紙に、家に戻って拡げただけで泣きました。
何も入っていない封筒も、私の宛名だけは鉛筆で書いてありました。
まるで最後のオブジェの作品のように思えたからです。
この手紙を受け取る為に、私に勇気をくれ外出する気にさせてくれた佐和子さんの愛情を感じ、泣いたのです。
偲ぶ会には250人もの人々、心の繋がりでお別れしたのは、きっと数人でしょう。その一人になれて嬉しかったです。
すっかり晴れ渡った空に「佐和子さん、私こそありがとう」と何度も呟きました。