2012/6/3 日曜日

森鴎外・舞姫・うたかたの記

Filed under: 感想,時代 — patra @ 2:40:54

高木敏光君が訳した・・・いや高木さんと呼ぼう・・・から贈呈された森鴎外の現代語訳「舞姫」と「うたかたの記」「文づかい」を読んだ。現代語であるという事と、たぶんリズムを重視したであろう現代語訳でスルスルと読める。
が頭を擡げる疑問は「え、こんな簡単なお話だったっけ?」だった。

読む前に「舞姫」は面白く無いです・・・と高木さんが言切っていた。
もちろん時代背景自体が閉鎖的で面白い恋愛等を知り得ないのであるから、行間に並ぶ注意深く行き届いた語彙選びで十分に完結しているのが原作だ。
「面白く無くて良いのであるよ」と私は冗談まじりに答えて置いた。

でも十分に面白かった。

遥か昔、文化学院英語科の読書の授業で読んだだけ・・・記憶も薄れてはいるが。「舞姫」はドイツを舞台にしたあまりにも有名な小説である。明治時代の特権階級に属す青年の異国での経験、苦悩と後悔が書き出されている悲恋物語だが、後に鴎外を訪ねて来た「舞姫」の実話エピソードのやるせない理不尽な時代背景の方が夙に有名で印象的だった。原作の醸す時代感が兎に角好きであった。

スラスラ読めるという事は其の時代の温度まで稀釈されているので、あっけない印象ではある。

もう一つ「少し自由に高木イズム流に訳を試みた!という「うたかたの記」を読んだ。

初めの数行で「え!!」と思った。
「うたかたの記」を鴎外の原文で読んだ記憶が無かったが、実は読んでいたのが解ったのである。

少女時代から一つの確固とした夢があり、それは17歳の時には完全に設計図となって私の頭の中で膨らんでいた妄想計画のネーミングがこの本から出ていたのだ!と発見したのだ。

常に自立を脅迫観念のように強いられていた私の幼い頭で考え出した夢の仕事は芸術家のたまり場のような店、其の名も「ミネルバの館」という店を持つ事だった。
「うたかたの記」の冒頭に若き画学生が集う「カフェ・ミネルバ」として同じ名前が出てきたのだから驚いた。そうか!ここからだ。

芸術の女神「ミネルバの館」というネーミングをどうして17歳で思い付いていたのかを、サッパリと失念していたのに(笑)。

もちろん其の夢は果たさなかったのだが、「ミネルバの館」計画の為にお茶の水のニコライ堂側のビルの地下まで下見し予算までたて、余りの高額に父へ借金を言い出せずに中途挫折したのだった。

そして鴎外はこの小説に当時スキャンダラスなイメージで世相を賑わせたバヴァリア王,ルードヴィッヒの水死のエピソードを上手に織り込んで小説に仕立てていた事も、この本で初めて理解出来たのだ。作り話とだけ思っていた小説が俄に狂王ルードヴィッヒと繋がり歴史小説として成立していたのに驚いたのだ。
後にビスコンティが映画にしなければ狂王ルードヴィッヒの名前は知らなかったのだが、母世代が詳しくルードヴィッヒを知っていることも不思議だった。王と従医の水死の謎は世界中にニュースとして流れたのだろう。

鴎外先生も中々やるではないか・・・空想と史実の撚り合わせがスケールの大きい物語にしていたのか。
感想を書こうにも高木敏光さんの仕事は躊躇いも無くリズミカルに物語って行くので突っ込み様が無い。
原文と比較しながらニュアンスを楽しむのが我々世代には存外、面白い読み方かもしれない。

参考までに鴎外の原文をリンクして置こうと思います。
読み比べて解る事は、何と言っても明治時代の圧倒的な空気感の重さ・・・私はこの難解な原作を15・6才で読んでいたことになる。
今の若い子達は果たして興味を持つのかは大いに疑問が残るが、版権の切れた鴎外作品を現代語に訳して若い人に読ませよう!という巧みな商魂には魂消ます。

しかしあの鴎外の青年時代、海外に出て同等に貴族と交わる社交性は、天晴で、そんな部分を今の中・高校生には是非、興味を持って読んで欲しい。女性の描き方も非常に現代的で当時としては斬新だったと思うが、これは現代語に訳した高木さんの手柄?かもしれない・・・。
「文づかい」のイーダ姫に至っては森茉莉さんと重なってしまう。

現代語で読む名作シリーズ1理論社から・・・」
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