日常は続く、姉が召されました。
7日の朝,姉のご主人から電話があって「どうも危ない」との知らせ。一応母を行かせようと支度はさせるがやはり姪の前で取り乱されても不憫なので迎えに寄ったご主人に伝えると「そのほうが良いでしょう」と少し痩せた頬を緩め、母の肩に手を置いて慰めてくれました。
夜になっても電話はありません。それでも生きている人間の日常は続きます。3度目にガリラヤ湖に復活したキリストさえ「食べ物はあるか?」と問うたのです。殺生を禁じた釈尊さえ,頂く時に合掌し豆や草木を口にしました。
まして我々凡夫はお腹が空いてしまう。母にリクエストの佃権の水餃子を食べさせ,数粒の枝豆を良く噛ませ,生きて,今、食べられる事に感謝し、この歯の間で押しつぶされ噛み砕かれる諸々の「食べられるだけが目的の命の存在にまで,視線を向けた,作家埴谷雄高の言葉をも、噛み締めてみた。
「おいしい」と何度も言う母の今ある存在を見詰める・・・
夜9時過ぎに母に電話があったが、苦しませないようにモルヒネを増やしていただく報告でした。
胸が潰れる。
そして朝に「夜中の3時に亡くなった」としっかりした声で報告する姪。「さいごまでしっかり看ましたよ」という言葉に姉が自分の命を縮めてでも育て上げた娘への愛情が、満開に咲いた瞬間を見たように思いました。
泣いていないのです。すばらしい事でした。