2009/4/12 日曜日

蚊と闘いながら思う

Filed under: エッセイ,家族,日々雑感 — patra @ 2:52:43

まったく退治できません。くやしいのはPCの画面に時々とまるんです。ふわっと。昨日から家の中に居ます。お客さんの体温につられて侵入してきました。このところ急に温度があがったせいでしょう。

諦めかけた今、あれ机の上に・・・・成敗しました。生涯を殺生なしで生きて行くのはむずかしい。よく見たらこれは生まれたて子供の蚊じゃないですか。 とほ・・・人に止まることも出来ずにプワプワとうるさく飛んでいたんですね。あぁ無常なり。寝てる間に私の顔を刺した親蚊は何処へ?

話は変わって

母の妹さんで我々姉妹には叔母さまから再度電話があって病院を変えたり何か母のためにアクションを起こさないのか?不思議がられました。冷たいと思われるのでしょうが現実問題、日本一と言われた先生方の執刀でも院内感染、C型肝炎キャリアとなってしまったのは母の運です。目下痛みも熱もないのが不幸中の幸い。何度も先生方からは片足3回目の再手術は出来ないし運が悪ければ術中に命を落としかねない・・・とまで言われている我々です。徒に騒がずふだんどうり暮らしてゆくことこそ「思いやり」と考えるのですが、こうした姿勢は理解されにくいようです。

友人が腰椎の手術を内視鏡で受けるらしいのですが100%完治とは保証できないと先生から 言われた途端に非常に悩みはじめました。本人が納得できる良い先生は未だ見つかりません。色々の病院へ行ってみると内視鏡では無理とか神経ブロックを勧められるそうで情報が錯綜し迷うようです。どんな名人でも人間のする事であれば絶対ではない。母が大昔、受けた人工股関節手術は当時の最高の医師達で行われた筈です。東大本院が混んでいたために一刻も早く痛みを取ってあげようと言う先生の当時の好意で分院へ。運悪くその分院が院内汚染していたのを関係者すら知らなかったのです。

母の責任ではもちろん無いが今の状態が悪い方向に向かっていないという事だけでも有り難いと思わなければ医術に携わる人々は誰もいなくなるだろう。

救急搬送で辿りつき何の情報を持たない病院で直していただき2度と転んだらダメだよ!と言われたのにも拘らず2度目に運ばれた私を黙って受け入れて再び直してくださった先生達さえ内心は「絶対無理」と再入院当初は思ったそうです。その人の持つ 生命エネルギーに委ねる事も、有名医師を探しまわるより時には大事なのだと言ったら極論でしょうか?

母は何度も私に「このままで幸せ・・・何とも無いから今更知らない病院へは行きたくない。」と言います。

何とでもなる・・・と母も娘も心の奥底で自然になすが侭を受け入れようと覚悟だけはしているのです。黙っているからといって無関心な訳では決してない。

深く深く思いやると・・・慌てず騒がずふつうに暮らす・・・が一番なように思えるのだ。

疑いはじめるより受け入れる心、自分の運を自分で見極める強さを伴とした生き方を現代にも蘇らせたい。寿命があれば生きる。騒ぐ事ではない。


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