個人的な歴史
[劇的リホーム」を見ていつも泣いてしまう私、この父の建てた古い家は鉄筋とブロック積みの構造なのでちよっと壊すほうが大変なので内装だけのお手入れで何時も済ましているのが辛くなる番組だからです。
母の退院に備え父の居た部屋を直しているのですが、大工さんに「このドアをどうしますか?」と尋ねられ感慨深かった。
父の居室はほぼ8帖の和室だが壁はブロック石、南側は天井から床ちかくまで大きい窓、東側の窓は建てた直後、車の音が煩いと,ワザワザブロックで外から塞いでしまったくらい雑音に煩かった父の考案した防音ドアである。厚いフラッシュドアの中側に砂がギッシリと入れてあり、外側はブリキで張り塗装が施されていて、部屋側は厚いテックスのような防音ボードが貼られた重い重いドア!閉める時も力まかせにドン!と押す代物だ。
「ドアが重いせいですかね、閉める時、ちょっと持ち上げないとピッタリ閉まりませんネー。それに上が下がってきてますよ!」
あれほど嫌っていたドアの閉まる音が、何故だろう、このドアの中の静寂な部屋で父は読書をし図面や本を書き、飽きるとギターを鳴らしていたのだ、と懐かしい。
生前、私と母は一階の台所から昔はスチームの通じていたパイプを叩いてご飯やお風呂を知らせると、父も手元にある孫の手なんかで部屋のパイプを叩き返して返事をくれたものです。インターホンの無い時代の工夫だった。
歴史なんだな〜アチコチが・・・
息子からも「あの家は想い出深いからなるべく残してね」と言ってきました。
ドライな姉は「何で執着するのか解らないわよ、こんな家!」と言います。
人様には理解出来ない事でしょうが、私にはこの家と闘って何十年も手直しを重ねた歴史が在り、その努力を愛しているのかもしれません。
金具をしっかり取り替えればまだ大丈夫だとの事、ならば其の侭にして置いて!と頼みましたが何故執着するのかは母の歴史の為でもあります。
職人を呼んで何をなさるおつもりかと思ったら、お母様を迎えるための家の手入れだったのですね。
陳腐な言い方ですが、やはり家にはその家に住まった人の思いが込められているのでしょう。
実家には、父しか居らず(別棟に姉がいますが)、もうほとんど陋屋なのですが、それなりの思い出があります。
父は、自分が死んだら家を壊すようにいわれていますが、何ともはや、考え込んでしまいます。
お父様の部屋の様子読んでいて、なんだかおかしくなりました。
しかも、ギター弾いてらしたなんて、ハイカラですねぇ〜。
コメント by 酔仙亭 — 2007/10/1 月曜日 @ 11:20:15
あ゛〜、二重投稿になってしまいました。
ごめんなさい・・・。
コメント by 酔仙亭 — 2007/10/1 月曜日 @ 11:37:11
酔仙亭さま
母の部屋は縦長の6帖くらいで介護ベッドを置くのには厳しいスペースなんです。今もベッドが壁際なので・・両側が空いてないとイザという時に
介護がしにくいので、お直ししています。
どのみち私が骨折する前から直す!と決めていたので半年遅れなになってしまった。
笑っちゃうくらいマイペースのお人だったんですよ〜頑までに自分の世界を護る父・・・
しかもギターはフラメンコギターです。レトキントンという高音のギターを中林プロから譲っていただいて愛用してました。
大学時代から弾いていたそうです。明治生まれのモダンボーイ、英語も原書をドンドン読むくらいで負けます。
酔仙亭さまのお父様のお住まいも、想い出が詰まってますよね、大事になさってください。
私も父に「俺が死んでから直せ」と言われて手をつけなかった場所は父と母の部屋だけだったのです。
コメント by patra — 2007/10/1 月曜日 @ 14:14:05