子守りも厭わず・・。
演出が変わると見違えるように義経さんの表情が活き活きしてくるのは気のせいでしょうか(笑)。画面の光りの設計が決ると、どの役者も表情に陰影が豊で、見ていて気持ちが良い。
やるせない胸中を隠しながらはしゃぐ義経主従の雨のシーンや灯籠の灯ごしに写す館の気配・・・背景の蘇鉄の葉に凛々しさが引き立つ義経さんのお顔。手のひらから飛び立つ白い蝶など・・・細やかさ溢れる心象風景で、どれも芝居を引き立てており実に繊細だ。前方へ後方へ義仲と巴を交互に動かす演出はまるでマクベスの舞台を見る様だし、三角形に役者を配置することでセット内の狭さ平坦さに変化をつけている・・等と随所に細かい工夫が見られる。
広間のわざと端っこで、鎧戸の壁際に凭れ昼酒を浴びる源行家の狡そうな姿や詰め寄る巴の甲高い声にも性格づけが巧みに表現できていた。義仲の単純さ、義高の健気な声音まで申し分無い。
今回の「鎌倉の人質」では義高や大姫の愛らしさに完全にやられました。天狗さんに化身した?とみせる身のこなしに大姫じゃなくとも手を叩きたいくらい、今回の義経さんは逞しく鞍馬の修行が活されていて強そう。一瞬消えた義経さんに驚く大姫のワッと言う表情が実に可憐でうまい。義高といい大姫といい新人や子役の持ち味を引き出すのがお上手な黛さんならではの肌理細かい温かいシーンになっていましたネ。
大姫の悲劇的な結末はあまりにも有名・・・、だからこそ運命など知るべくもない義高と大姫にこんな幸せな時が沢山積み重なっていただろうよ、と信じたい。睦まじい義経主従にしても、じっくり日常を描く事で徐々に演出の狙う策にはまってきたようです。
ひなすけさんが書いて下さった頼朝が又も見事です。役者の巧さと併せて油断できない知恵者、生き残る術をも嗅ぎ分ける強かさ、中井頼朝、どう演ずるのか?が増々愉しみになってきました。
頼朝に比べると確かに義経主従や義仲は気一本だ。そこが悲劇だとしたら・・・現代人が学ぶべきは、否否それでは怖すぎるから渡清盛に中井頼朝なのだろう!と甘く期待。
義経は天下の大天狗じゃ(違)・大河ドラマ「義経」第20回
真の戦略家は機械のごとく冷徹でなければならぬ。今日の頼朝の義仲に対する立て続けの「提案」に、それを強く感じた。先週の感想でも書いたけれど、命をいつとられてもおかしくない境遇に20年も生き続けた頼朝でなければ到達できない境地だろう。この悟りの前には、義仲も義
トラックバック by ひなすけの日記 — 2005/5/23 月曜日 @ 5:39:41