2005/3/7 月曜日

義経8、9を観て

Filed under: 大河義経 — patra @ 2:48:47

大河ドラマ義経を最終回まで頑張って観るblogという非常になが〜〜いタイトルのブログを発見し、ちょっと嬉しかった。私と一緒だ。最近視聴率がやや落ちてきたそうだが物語りもキャストもいよいよ本題へ・・・先週の清盛と遮那王の対面は初め気がつかないほど超自然だったので見過ごしたがロケ先が三十三間堂の本堂内部、と知って土曜の再放送をもう一度チェックしてみた。エピソードが多過ぎて編集で多分短くしてしまったのだろうが、この写真のような清盛を背後から引いた映像がもっと欲しかったなぁと少々残念だった。あの見事な仏像を見落としていた私も、相当にうかつだったが内心、凄い美術力だな!、と錯覚したのは映像を職業としていた慢心から来るもので、浅はかだった(ありえないくらい厳かな合成だ!・・・って本物だったのだから・・笑)。清盛と遮那王の交互のアップで繋ぐのでは、せっかくの演出意図『決して義経の顔を見ない清盛』が浮かび上がらずに、ぜひあのお堂の内部の空間の大きさを、制約はあったのだろうが大胆なカメラアングルで、もう二工夫が欲しかった!と欲張りにも思ったものだが流石に清盛公ゆかりのお寺、よくぞ御貸しくださった蓮華王院とこだわり抜いた演出家黛さんの執念の凄さに改めて脱帽した。

8話「決別」の遮那王と常磐との別れのシーンは出色で、今まで可成り時間を割いた遮那王のぐじぐじとした悩みが一気に解きあかされたようで涙を誘う綺麗なシーンだった。それだけに細かい不必要なカットが目についてしまう。天才といえども答えが出るまでの時間があってしかるべしなのだ。母と子の情愛溢れる場面、稲森さんの演技の何と素晴らしいことか。

9話、「義経誕生」
奥州へ行く途中で元服するシーンには、やっと義経本来の性格であろう自分自身の裁量で何事も決断する「男らしさ」が備わり凛々しい烏帽子姿の滝沢君に目が潤みました。綺麗、頑張ってみごとに最期まで義経を演じ切ってくださいね。ともう判官びいき。何度も言うが今回の義経はドラマの要の一つ、キャスティングが細部まで意表をついてすばらしい。

黛さんのお書きななった大河ドラマ義経の出来るまでに依ると平家と源氏では食べ物が違いおのずから骨格にも違いが出ていたそうだ。その顔付きまでを考慮して配役を選んだ、と書かれてあった。伊勢三郎役の南原清隆さんが「蟹」と呼ばれての登場だが、阪東武者の血筋のえらの張ったお顔でとっても魅力的、今後の展開もたのしみ。義経はむしろ平家よりのお顔だ・・・とも書かれてあり義経の抱える「運命」や「怪しいカリスマ性」をどう滝沢君が演じ成長してゆくのか、最終回まで私も頑張って追跡しつつ観てゆきたい。


  1. カニクエ

    こんにちは、記事拝見しました&トラックバック失礼致します。大河「義経」第九話さきほど見たのですが、今回の「義経」はタッキーの元服姿と…

    トラックバック by 【1,000年プロジェクト】源義経と、平清盛と、もう一つの平家物語 序章の序章 — 2005/3/12 土曜日 @ 12:01:24

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