2005/1/10 月曜日

「うんめいの子」

Filed under: 家族 — patra @ 2:49:36

亡くなった人の夢を見ることは一体何日くらいで見られるものなのだろう!?と予々思っていたら何と父が12日目にして私の夢に元気に現れてくれた。たくさんの驚きをここで述べても仕方がないのだが、新聞を見ろ!と言ったように思え、起きてすぐにピンときたのでTV欄に目をこらすと「義経」のサブタイトルが「運命の子」となっていたのを発見し強く納得した。

私は私を恥じていた。何一つ自慢らしい事も出来ないままに歳だけ取り、老人である父の苦労のタネだった事、きれい好きな私は度を越すらしく、色々と理由をつけ、だらしないと厳しく叱ったこともある日常だった。親を叱るなど、親不孝そのものだろうが放っておくと煮染め色になる褌を叱り、小皿へ注ぐ父の醤油の量の多さをいつも叱った。

夢に出て来た父はまっ更な白い越中を得意げにみせ、誉めて欲しそうに笑っていた。 着せた着物は脱いでしまったようだ。間違えで母の父、つまり私の祖父の形見を着せたので丈が短く、すぐ気がついたのだが取り替える術も無くそのままにしたせいか着てはいなかったので49日にお気に入りを並べて掛けておくつもりだ。薬が大好きな父だったのでお棺に医者からの処方の残りを入れてあげたのが、よほど嬉しかっ たのだろう、自分で電話を取り病院の看護婦長さんに「いつもの薬を又お願いします」 と伝えていた。そう!夢の中で「死んではいないよ」とはっきりご機嫌良くそう私に伝え、新聞を見ろ!と言ったのである。

運命の子・・・とは父が私に伝えたかった言葉なのだろう、と勝手に解釈し泣いた。 生きている間に一度も愛されているとは思えなかった父だが。お互いの葛藤の中でしか理解できず距離を置きつつ腫れ物に触るようにして暮らしてきた年月。
こんな親子関係は、きっと沢山世の中に溢れているのだろう、願わくば生きている間 に父や息子、母や娘の言葉が通い合うほうが良いに決まっているのだけれど・・・自我が強いばかりではうまくはいかないのだろう。こうして悟る瞬間が永遠の別れなのが何と人生の設定は厳しいものか。

「源義経」を父の位牌と一緒に家族で見た。美意識に感動した。途中、大きいラップ音と共に蝋燭が消えた。息子が静かに立ち上がり新しい蝋燭を灯し微笑んだ。
きっと父が拍手をしたんだろうな、と思う。

黛りんたろうさんが父上、敏朗さんと大河ドラマで対話しているようにも思え、一層、心が震えた。


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