2004/10/24 日曜日

壁。

Filed under: 日々雑感 — patra @ 13:12:12

昔、一面識もない北野武さんが夢に何度も出て来て「なんだろう?」と不思議でしょうがなかった。
1ヶ月くらい立てつづけに、その出会う場所が外苑のカーブしている歩道の側、車や
沢山の人にまざって談笑してる夢。その夢の中で握手する見知らぬ女性がいたんだけど直後、武さんは事故を起こしたのだからびっくりしたの何のって驚いた。

後年、その夢で出会った握手の女性と現実に家で握手する機会があって、手の触感が全く同じに甦り更に驚いたことがある。
霊感なんて持ち合わせない大人なので友人に「一体何だったのだろうね?」と話し、そのまま終わってしまった。

けれど、一昨日も実は変な夢を見た。名前は言えない元気な俳優さんが撮影中らしい現場で咳き込んで「喀血」してる夢。こちらを向いて「黙っていてね」という目をまざまざと・・投げられたタオルに血が。こうゆうの見ると実に困っちゃうけど今朝、新聞に萩原健一さんが交通事故を起こしたニュースが出ていたが、彼の夢は全く見ていない。まるで徹底していない私の夢って修行すれば理解できるのだろうか、本当に霊感体質の人だったら、大変だろうな、と思うから霊感体質なんかなりたくないから修行も嫌だ。

「九仞の功、一簣に虧く」という言葉が在るが、最近の私はまさにこの状態で、あともうひと頑張りができない。目の前の仕事と家事に気が向かないのをハテ、どうするか、そこが問題だ。とにかく体力、知力の限界が超えられないのだ・・・。


  1. 僕は自分が「成功したくないと想っていること」を曖昧にしたままやってきました。
    あるときから公言できるようになりましたが、今度は呆れられました。

    例えば、テスト勉強をしたくない。(良い成績を取ろうと想っていない)
    仕事をしない。(その仕事に価値観を認めていない)
    料理をしない。(その料理を食べたいと想っていない)

    そういうことなんだ!と僕は想うのです。

    コメント by 変人 — 2004/10/25 月曜日 @ 16:40:13

  2. 若いときは何でもありだと思うのね>変人さん
    こんな意味不明のつぶやき、何で書く必要があるのか?・・・とモニターの向こうで苦笑してません?

    昨日の「情熱大陸」に友人が二人でてました。12チャンネルにも友人の家族が
    一子相伝のところまで成長していました。
    皆10年前にアドヴァイスしたとうりの人生になってました。

    じゃ自分は?というと怠けてます。つくづく自分に甘い人間だな、と自覚してます。
    小さい積み重ねが出来ないなら大きく積み上げることは有り得ないのですよ。

    終わり方の美学って一番むずかしい。

    コメント by patra — 2004/10/25 月曜日 @ 17:56:59

  3. こっそり・・・ 「一簣に虧く」
    もっこなんて懐かしい言葉ですね。

    コメント by minai — 2004/10/27 水曜日 @ 13:12:27

  4. >うわぁminaiさんだ〜〜
    ほぼ3年ぶりじゃないですか?おげんきでしたか?

    誰か突っ込んでくれないかな、と思っていたとこです。もっこ。

    字が分からなくて、いいかげんに載せておいたのです。くふふ

    頼りの指南先生、久々に姿みせてくれて嬉しいです。
    時々間違えよっかな・・・

    澁澤栄一の孔子論「君子、一生のこころえ」もう絶版みたいですね。

    みんな戻ってきて、また、お話したいもんです。

    コメント by patra — 2004/10/28 木曜日 @ 1:27:17

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