2004/10/13 水曜日

バジリコ・スパゲッティ

Filed under: 時代 — patra @ 5:37:46

キャンティ物語』を読んで当時の雰囲気を思い出せる人は業界の人々が多いだろう。特殊な職業の人々のサロンという感じ。あの、お店の醸し出す独特な空気は上質な大人っぽさと、ある種の意地悪さを併せ持ち常連のみを大切にしているようなお店だったから素人は入りづらかった。豪華と言うほどでは無いのに入店する前に、なぜか胸がドキドキする。文化人御用達のせいだろうと思う。
学生時代、東京のイタリアンは庶民的な『シシリア』が出来、次が『ニコラス』、この両店へはよく遊びに行ったが、1960年に出来た『キャンティ』へは行くチャンスが無いまま家庭に落ち着いた。1965年からは子育てが始まり、夙に有名になっていくのを雑誌で読むだけ、反対にシシリアは寂れ、いつしか完全に消えていった。
1970年代に仕事をするようになって、当時の売れっ子カメラマンやデザイナーに連れてゆかれたキャンティで、何故かバジリコのスパゲッティを頼むのが粋らしく、皆が一様に「バジリコ!」と言うのでつられて頼んでみる。

ウエイターが気取って目の前に置いた皿を見て唖然とした。昔から家で作る貧乏な時の具のないスパゲティに紫蘇のみじん切りとパセリをまぶすだけのバタースパゲッティと何ら変わりがないものだった。しかも味まで同じで更に驚いた。もちろん空輸でバジリコを取り寄せて、松の実もフレッシュを摺り降ろして使っていたのだろうが何ということもない普段着の味、おふくろの味だった。緑色のスパゲッティを銀のフォークとスプーンで厳かな顔で食べている面々を見まわして、あやうく吹き出しそうになった私である。

「これ、シシリアの賄い食と同じだ」と秘かに思った。東京オリンピックの何年も前、18歳の頃のボーイフレンドがカンツォーネ歌手だったので、出番が来るまで一緒に食べる賄い食と、ほぼ同じものが供されたのだ。超有名なオッソ・ブッコも牛臑肉、髄ごと骨つき肉をワインとトマトで煮込んだものだが、計らずもこれらは我が家の定番だった。このおふくろの味、18歳の私に丁寧に教えてくれた名前も聞かなかったシシリアの無名シェフに感謝しながらキャンティの呪縛から解かれたのを、突然思い出した夜だった。
私の料理の原点はこのシシリアのイタリアンから始まっていたのだろう。

その1965年頃は、キャンティの息子さん川添象朗さんはギタリストでも有名だった。何度もコンサートをなさっていたが、いつからギターを弾かれなくなったのだろうか。


  1. patraさんのこういうお話好きだなあ。
    地方に住む私の東京願望みたいなものが刺激されます。
    なんだかわくわくしてしまいます。

    あこがれるけど遠いもの、と思っている東京が
    ちょっとだけ近くなったような気がするのはpatraさんの
    文章のせいだと思います。
    どこかとおくにあってあこがれていても近寄ってみると
    いつも自分が見つめていたものと変わりなかったってこと
    ありますよね。
    でもいつものものと、あこがれていたものと両方に愛着が余計にわいたりします。

    コメント by rosemary — 2004/10/13 水曜日 @ 8:29:00

  2. お久しぶりです、お元気でご活躍のようで嬉しいです♪

    Patraさんのblog、時々拝見させて頂いていたのですが、中々お返事さし上げるタイミングをつかみきれず、ご無沙汰してしまい申し訳ありません。

    かつてはうちのピーコのお話まで書いていただきありがとうございます。そうそう、PatraさんのHPがリニューアルされる前の、「幻の動物天国」(?!。。。笑)からのメッセージも読ませていただきましたよ。み〜んな楽しそうで。。。HAPPYです〜・。*°〜.°☆

    こっぱずかしくてお知らせが遅れてしまったのですが、私も、【チョー簡単なHP】開きました。よかったら遊びに来ていただき、ゲストブックに何か一言残していただけたら幸せです。仲のよい友人10人前後に見てもらっています。

    Have a nice day today as well!

    コメント by windy lady; Chieko — 2004/10/13 水曜日 @ 8:34:33

  3. 又もおはよう!・・・です。
    「キャンティ物語」をTVで見ました。
    まさに、素敵な大人たちの集まるサロンだった・・・
    行った事のない私が想像していた通りで、自分もいつか、そんな大人になりたいと若い頃から思っていました。
    マイ・ブログのタイトルもそんなトコロからつけました♪

    patraさんがそんなサロンを開いたら、きっと、素敵であったかいお人柄に惹かれて、素晴らしい人々が集まるんだろうなぁ〜♪
    おいしい料理にお酒・・・
    ネェ〜♪
    今からでも、遅くない。そんなお店作りません?
    皿洗いのパートでお手伝いしますよ(笑)

    ちなみに「ニコラス」はよく行きましたよ。
    やはり、当時のボーイフレンドと行った時にお店のウェイターの若い男の子に、「君の彼氏、カッコいいね!」って言われたのが、ちょっぴり
    嬉しかったのを思い出しました。
    ピザとジンジャービールという組み合わせで、なんてことないのに、
    あの空間に浸ってました。まだまだ、子供だったです。

    コメント by SAGAN — 2004/10/13 水曜日 @ 9:47:44

  4. 先に挨拶させてしまって恐縮です。
    あれからブログ読ませてもらってますよ。
    「キャンティ物語」、僕もちょっと見ました。

    何となく分かった気がしたのは、色んな人達との交流から文化って生まれるんだなぁ〜ということ。
    歴史を見ても、異文化との出逢い、戦争、融合などを経て、新しい文化・芸術が生まれたような気がします。

    インターネットの可能性も色んな人達との交流から育って行きますよね。
    変な私ですけど仲良くしてください。^^。

    コメント by 変人です — 2004/10/13 水曜日 @ 14:48:56

  5. >rosemaryさん、つづきのようなお話も書いてみました。貴女のように感受性豊かで
    私の文章の不備な点を想像力というスパイスで読んでくださる人がいて幸せです。
    うやむやにする・・・曖昧なところを美意識と錯覚してる頑固者(笑)なんです〜

    >windyladyさん、オウトバイ乗りとは凄い。聞いていたのかもしれないけど
    実感が湧かなかった。元気でなにより。またインコ鳥さんに気が向いてるようでしたね、スーパーで(笑)遊びにきてくれてありがとう。

    >サガンさん
    ニコラスじゃ無かった、アントニオだったかも。田宮二郎さんに良く遭遇しました。
    我々の一番頻繁に通った店はニュージャパンのテラス「サンジェルマン」でした。
    銀座、フロリダキッチン。ACB 銀巴里。遊ぶ場所に事欠かなかったですよね。ビブロスに夢幻。原宿に移ってからでも次々に。
    お店、まず3日で潰れることでしょう、材料費だおれ。素人料理の欠陥です。

    >変人です君、さっきも君のところへ伺いました。
    ト・・・・お互いに居合い抜きが・・・黒沢も大好きですよ。ストン。(鞘に収めた音)

    コメント by patra — 2004/10/14 木曜日 @ 6:21:53

  6. バジリコスパゲッティの作り方。4人分

    パセリの葉っぱ、握り拳分だけむしる。紫蘇の葉1束丁寧にみじん切り。

    フードプロセッサーを利用する時は、ニンニク!、2片(好み)松の実大匙2杯
    オリーブオイル大匙1〜2杯。塩小匙一杯。マジョラム(生、または粉末少々)
    セージ(粉末少々)昆布茶、又は味の素少々と共に全部撹拌する。
    ねっとりした弛めの状態のソースができます。
    此のジェノヴァソースにバターを大匙2杯入れ
    茹でたパスタにからめるだけ、バジルの微塵をちらし緑色のパスタできあがり。

    コメント by コックjovanni — 2004/10/15 金曜日 @ 11:42:56

  7. 幸せなコメントで懐かしい思いがします。私の原点です。ニコラス、シシリア、クレージーホース、懐かしいですね!今でもキャンテイを愛しております。現在もバジリコ作っています。

    コメント by キャンテイOBです。 — 2006/1/14 土曜日 @ 0:09:20

  8. キャンティOBさま♪
    あの時代を原点と仰るとは素晴らしい方です。
    実に良い時代だった、そう懐かしく思う私はほとんどお店には行く事の出来ない
    貧乏な青春でしたけどあの辺りの空気まで好きでした。

    クレジーホースやラテンクオ−タ−だったか、裏から入れてもらってペレス.プラドショウを見た記憶が(古い)キャンテイを今でも愛せる方はブルジョワ・・最早特権階級ですよ、すばらしいです。

    コメント by patra — 2006/1/15 日曜日 @ 2:02:01

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