2004/9/17 金曜日

アロ〜!アロ〜

Filed under: 人物 — patra @ 3:07:44

子の方が心配してくれる年齢になった我が家に息子から電話があった。此の前、沢山撮りためた写真フォルダが一瞬にして消え、落ち込んでいやしないか?と心配してくれたのです。

落ち込むも何も、あまりに無知な自分に呆れはて暫く、大好きだった写真を写す気が失せたのは事実です。それに、私のカメラはEXilim EX-P600 なので原因もこれに当てはまるのかは定かじゃないし、移動させる途中の操作ミスは私がしただろうし!。ま、諦めが良いのが江戸っ子だからさ〜とか強がってみせたら笑っていた。

でも、撮り溜めた美味しいお料理写真が無くなったのは事実だから、暫くは愛想のない文章だけで御勘弁願います。「意味不明だよ!」とか言われてますが、話しが面白い人(私です、笑)は文章は下手なもんです。悪しからず。

時どき覗く楽しみが増えた古川さんのblogに鉄腕アトムと手塚さんの事が載っていて不思議なご縁だな、と思う。
古川さんと息子たちの御縁も不思議なのに手塚治虫さんのアトムが大好き!というのも嬉しい一致。
昔、息子が事故で入院している時に、私は、何とか元気を出させようと、知り合いの伝手を頼り、アトムの主題歌を作曲した高井さんに、無理をお願いして、「ブラックジャック」の絵と手塚治虫先生のサインを頂き、息子を励ましたことがあるのです。

後年、大人になって勤めた美術会社をドクタ−ストップで止めた直後、その会社は宝塚のアトム資料館を造る仕事が決まりました。

「手塚ファンの僕は、あの仕事をお手伝い出来なかったのが唯一心残りなんだけどさ・・」と今も残念がります。

15年前、当時、私にはエブリン・・・というフランス人のモデルで歌の上手な友人がいて、エブリンの歌を六本木のインクスティクへ度々、彼女のライブを聴きに息子を連れて行き、息子は音楽をもっと、もっと好きになっていったのです。
CMの世界に興味を持ちはじめ美術会社へ入社したい!そんな希望を秘かに持ったようでした。
私の紹介でエブリンのモデル資料写真を写してくれたのは大きいスタジオを持っていたその美術会社のオーナーデザイナーのMで、その撮影を私と見学に行って、翌日からちゃっかり入社したのが息子です。

そしてエブリンは手塚治虫さんの御子息、真さんと友人だったのだ!、と後で知った次第です。記念館もそんな縁から進んだのだ、と聞いています。
何が言いたいか!と言うと
その時はバラバラで全く気がつかない、すれ違うような「縁」が後で考えると、何かの大きい一つの見えない線で結ばれている!と知った時、ユニヴァ−スの神秘をかんじてしまうって事なんです。

みんな仲良くしなきゃ、「ブラックジャック」の絵は我が家の宝です。その絵から総べてが動き始めていたんです。


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