2010/6/23 水曜日

素麺が贅沢だった時代

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 1:19:55

CIMG7391CIMG7389CIMG7392CIMG7386IMG_0648今の若い人はきっと知らないかもしれないが、東京では夏の冷や麦や素麺は子供は滅多に食べさせてもらえなかった。大人の嗜好品だった。
流通が今のように発達していなかったのでどの店にも置いてあるなんて事は無くデパートの贈答売り場に箱詰めにされて、勿体ぶって売られていた。
大好きだったが自由に食べられるようになったのは年頃になってからでした。

人には夫々の記憶があるけれど、夏にうどん屋さんから冷や麦や素麺の出前が頻繁に取れるように成った時,我が家が一番景気が良かった頃だった。たかが素麺の出前がだ。(笑)
その時まで家で素麺を茹でた記憶が無かった・・・。家事が苦手な母親だ。
そんな私達に父がぽつりと

「こんな物まで出前で取っているようでは、この先き立ち行かない」

その言葉が耳に刺さりました。ケロケロしてた姉と母とは大違いな私は億病だったのか、その言葉に怯えた。
結婚してからも今も、出前で素麺を取る事を止め、日々手をかけて作ってみるが
何の事は無い、今や出来合いのほうが遥かに倹約できる時代なのだから
時代と共に臨機応変が望ましいのかもしれない。

いつもUstreamの講演を拝聴してる川崎先生が包丁で手を切るのは包丁に言い含めないからだ!とお話してて興味深かった。包丁を日常使う女性の方が包丁より偉い!と因果を示す意味で床に置いた包丁を跨ぐのだそうだ。
昔はそうして躾けられたというお話は、非常に面白かった。
私は父の母親、お直婆さん(日本初の女性のハンドバッグ職人)に「包丁を使うには包丁に有り難いと感謝しながら研ぐことが肝心要(かんじんかなめ)」と6年生になった時,砥石の使い方、水で濡らす大切さ刃の当て方等を教わりました。ボーっと聴いていた尽くが今、活きています。

始末とか養生とかやり繰りとか、たくさん教えてもらいましたね。活かして暮らせているのでしょうか。


2010/6/22 火曜日

帯に短し襷に長し

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 2:18:34

私達の生活に合うダイニング兼仕事テーブルを探すのに難儀しています。
何かつかれちゃった。木のムク素材でモダンで頑丈・・・やっと見つけたと思ったら低い。何で?と思ったら日本人デザイナーの作品だった。普通より8センチも低い。探し疲れて、結局初めのに戻るのかな〜
紫黒色って言うのも好きだけど75センチないと持っている椅子と合わないのです。仕方が無いと諦めるのも何だし、わざわざ特注も贅沢だし、人生は斯様にスムーズには運ばない。IMG_0643
冷やし中華ソバを作りました。美味しかった。鶏の酒蒸しを細く裂いてゴマだれと混ぜておいたせいか、しっとり感が良い具合でした。ネットの隅々を隈無く見るのは疲れるし、行方不明で辿り着けないこともある。
恐ろしい値段の、しかし素晴らしい天板が、さっき在ったな〜。贅沢だと、御先祖の神隠しなんでしょうね。
合成材で我慢するかな・・・


2010/6/21 月曜日

中華サラダにしてみる。

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 2:18:42

IMG_0626一億総サッカーファン、いえ我が家は昔から大のサッカーファンで息子などドイツまで応援に行く熱心さ。
19日は頑張って一人応援、お伴はお友達に頂いたウイスキー、ワンショットグラスで眠くなるのを必死で我慢。やすあがりになったものだ。
「おぉ〜」とか「きゃ〜」とか叫んでいたら2階から
老母が「何かあったの?貴女、6回も叫んでたから・・・心配になった。」
失礼しました。声、大き過ぎでしたか!?
サッカーを見るよ、と言っておいたのに、敵も寝ぼけたか?(笑)
CIMG7363CIMG7370
そして日曜はゆっくり寝てました。人が来ないのは日曜だけなのでグズグズ状態。
これも長い人生には必要よ、と自らを納得させて。夕方、冷やし中華蕎麦を作ろうと具を用意し冷凍庫を空けたら、冷やし中華麺じゃなくて焼そば用の麺であった。うわ、失敗。
急遽、母に銀ダラ、具は練り胡麻と柚子醤油のタレで中華サラダ。ピータンがあれば良かったかな?薄く切ったトマトでも細く切ったインゲンでも、柔らかく蒸して裂いた鶏でもお気に召さない母「鶏は手羽じゃないと味が無い」と宣う。
日本酒と塩で蒸したこの微妙な味が、もう解らないらしい。
私は残ったインゲンとこのサラダが夕飯。何もつけないインゲンの甘味さえ嬉しい。正しい味蕾に感謝です。


2010/6/20 日曜日

90代の姉妹

Filed under: 家族,日々雑感 — patra @ 2:06:06

IMG_0624IMG_0622母と叔母は2才違いですから叔母さまは今年90才におなりです。とてもお若いし昔から美人。踊りの名取り、優等生です。
一方母は何もかも不器用で性格的には叔母さまのほうがお姉さんのようです。とても母を大事にしてくださり、母にお小ずかいまで下さる有り難いパトローネです。
4人姉妹の一番下が残念なことに欠けましたが、残った3人は全員全く惚けていない所が天晴れな姉妹です。
もっと近いと良いのにね、と嬉しそうな母。叔母さまの娘、我々の従妹は私の姉に良く似ています。多分もう還暦。若い遺伝子が組み込まれている家系です。ありがたい事です。IMG_0621


2010/6/19 土曜日

不自然な住み替え

Filed under: 家族, — patra @ 1:45:25

CIMG7348CIMG7350引っ越しという大プロジェクトを控えているのに実感が何一つ浮かばないのは・・・
見てもいない場所へ越す事にもある。何もかもが変則的。私が当たりをつけて置いた何件かの物件を見てくれた姉が「ここに私が住みたいくらいよ♪」と羨ましがっていた場所に決めたのです。何のことは無い姉の為にです。

去年の秋だったので「再来年の桜はここでお花見しましょう」と約束しました。
その姉が今、転移した癌治療に苦しんでいます。お花見の約束をぜひともしたいものです。
明日、といってももう今日の午後、母のパトロンでもある叔母と姪が訊ねてくるのでテーブルクロスを換えました。
誰もが姉が重い病気とは思っていませんでした。私も母も誰も。

それほど姉は見た目健康そうで、ツヤツヤだったからです。癌細胞は健康ツヤツヤがお好みなのでしょうか?
いつもいつも草臥れて不機嫌な私じゃなく、愛想のメチャクチャ良い姉に秘かに期待をかけていた母はさぞガッカリしていることでしょう。早速、妹である叔母に助けを求めたようです。高齢な叔母さまに、心配かけたり知らせることすら潔しとしない堅物な私の出来ることは掃除とお茶の用意です。嚥下障害の出てる母ともうご飯も食べられないのでお茶会です。

姉が癌告知を受けてから家族で出かけたLA(ロサンジェルス)で買ってきてくれたテーブルクロスです。桜みるまで頑張ってほしい・・・と思いながら拡げました。麻の素材までがセンスの良いアンティークです。
なんだか虚しい限りです。


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