2011/9/11 日曜日

エシュロン!

Filed under: 日々雑感,時代 — patra @ 1:42:16

ロールブラインドを一日下げて過ごす。
真夏より暑さが応えるのは何故だろう・・・と毎年思う疑問。
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もうあの2001年9月11日のテロより10年も経っているのか?とTVを見て驚く。
更に驚くことが池上彰の番組の中の危機管理の問題提起だった。世界中に張られている盗聴の為の装置,エシュロンが三沢基地にもある事実を放送していた事。
過去にただ一人アメリカに反論できた橋本元総理を失脚させるスキャンダルが公に成った理由が分った。アメリカ政府に不利益になるニュースを集め盗聴されているのでは日本の政治家等、傀儡同然、手も足も出ない木偶そのものだ。

日本人の甘さを痛感した夜・・・一言一句細心にして水も漏らさぬ用心をして更に注意深く・・・住み難い世界がどんどん広がる。

鵜呑みにはせずとも片隅に心して記憶しよう。

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2011/9/9 金曜日

食べ記録13

Filed under: 料理 — patra @ 13:00:45

日、ローストビーフの残
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月・冷や奴,枝豆
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月・アボカドとマグロ
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火・絶食日のヨーグルトだけ
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水・鯵フライ
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水・焼き鳥
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木・残暑の冷やし中華,蒸し鶏胡麻ソース
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冷蔵庫のストック,冷凍の素材を一応クリアー野菜もほぼ全部使いきりました。
金・鰊の煮物、いちじくを購入・・・


2011/9/8 木曜日

綱渡りフェリックス・フリーゲンパイルのバラード

Filed under: 人物 — patra @ 2:55:07

c0229584_17271576この挿絵が実に魅力的です。
ドイツの作家ミヒャエル・エンデの詩集「夢の蚤の市」に収められている一編をドイツ在住の友人美智世さんが原書に忠実に
訳されブログに載せてらしたので
許可を頂いてリンクしました。
ちょっとシュールで孤独感が漂う不思議な詩はこんな書き出しではじまります。

 

 

フェリックス・フリーゲンパイルという名の綱渡りがいた。

彼が前人未到の綱渡りの名人であったことは誰もが認めていること。

彼にとっては宝も金も賞賛もどうでもよかった。

彼が心にとめていたことは世の中の誉れではなく 技だけだった。

綱渡りの学校に入ると 大勢の中で瞬く間に一番の優等生になった。

1年が過ぎた頃、先生よりも上手くなった。

そこで先生は柔和に言った。

「天才児よ、さらば。君に教えられる事はもう無いよ、息子よ。

これからは神と共に行きなさい。さあ、行きなさい!」

 

続きはこちらから美智世さんのブログ
木陰のアムゼルよりお楽しみください。
エンデ好きな方に・・・ドイツ好きな方に・・・
日本では「影の縫製機」という詩集に収められているそうです。
原書を読み訳せる語学力が羨ましいです。


2011/9/7 水曜日

美学

Filed under: 時代 — patra @ 0:07:32

DSCN1578この所心配だった紀州白浜に住む友人と連絡がとれて「無事」と分り少しばかりホッとした。
福島住民の置かれた現状や異常な雨量の気象状況などは日本沈没、を思わせブログを書く心境では全く無かったのだが・・・一つだけお伝えしておきたい事が有る。

昔、息子達が20才代の頃、易を看る私の元へ息子の友人や同年輩の子供達が良く相談に来ては「自分の将来はどうですか?」と訊かれた。
様々な環境,親御さんの遺伝子を受け継いで皆、夫々に頼もしく良い子達であったが不思議な現象が在った。
ほぼ全員、中年以後の軌道が非常に不安定な若者が多かったのだ。

「ぱとらは変だよ,なんで我々ほぼ全員晩年運が良く無いんだよ!」口を尖らせて息子が抗議した時に私の答えは・・・

「不思議だけど仕方がないのよ、ほぼ全員同じように軌道が不安定なの,多分・・・戦争が有るか天変地異だと思う」

「戦争って?何処と?」あきれ顔で息子が訊くので
「北朝鮮のミサイル誤射か地震だと思う」
確証はなかったがそう答えた。息子は黙り込んだ。
ほぼ20数年前の話です。

3/11日以降、福島原発事故の情報が流れた時は、関東全土も汚染されただろうと直感したが政府の報告は、お為ごかしの日和見ばかりだった。

海の生物はもちろん植物も畜産も東北は汚染されているだろう・・・今頃になって高い数値や土砂の処理が話題になっている。

徒に不安を煽るつもりは無くとも事は深刻且つ重大である事に国民がもっと気がついて欲しいと思う。

日本を駄目にする為に堪え難きを耐え忍び難きを忍んで復興の為に努力してきのでは無い我々東京ッ子世代(戦中派)が最期の声を振り絞って問いたいのです。(この場合の東京ッ子は焼け出された下町に限る)
原発を誘致した責任を国民全体の痛みとして捉える・・・一見美しい言葉だが、考えて欲しい。あの3月10日の大空襲で亡くなった十万人、焼け出された下町の人間は国も近隣の助けも無く焼け野原から這い上がってきたのです。

東京の人は冷たい・・・と地方の人々が良く口にするが丸焼けだった東京は冷たいのでは無い,余裕と甘えがないのです。
この無駄な甘えを恥とする美意識で焦土から立ち上がって来たのです。
被災地の人々が創痍工夫で立ち上がる事でこそ無能な政治に止めを射せるのです。
我々は正しい情報を流す努力と根本を考え国を創り直す烈士を応援したいのです。1票たりとも私利私欲の輩を政治に送り込んではいけないのです・・・

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2011/9/6 火曜日

厳しさも此所までくると

Filed under: 日々雑感 — patra @ 11:43:20

【恩あればなり】

 たとひ明日食ふべき物なしとも、
 釜を洗ひ膳も椀も洗ひ上げて餓死すべし。

 是れ今日まで用ひ来りて、
 命を繋(つな) ぎたる、恩あればなり。
 これ恩を思ふの道なり。

 この心ある者は天意に叶ふ故に
 長く富を離れざるべし。
             (夜話二〇一)

【略解】
 いただいた恩を忘れず
 少しでも報いようとする心がけは、
 天意に叶う第一条件ではないだろうか。」

しかし
釜を洗い膳も椀も洗いあげて餓死せよ!には不謹慎ながら笑ってしまいました。

が、心得の真理としては正しい。ある種の凄みがありますね。
人間は脆い生き物だから,食べるものが無ければ茶碗どころか身を清潔にたもつさえ覚束ないであろうに。
が心の片隅に覚えておくべき教えかな・・・
ヤレヤレ・・・
明日でいいか、後でいいや・・・この緩みは大敵です。
一人暮らしになって特にそう思います。
食べたら直ぐ洗って仕舞う、そんな日常が平常心を養うようです。

 


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