2013/12/14 土曜日

お出かけ前の息子達・・・

Filed under: 家族 — patra @ 22:16:01

DSCN8071DSCN8074寒い日だけど横浜まで


2013/12/12 木曜日

パーティーを面白くするカメラで遊びました。

Filed under: 友人 — patra @ 16:01:38

最高に面白かった。
こつがあって、丸いレンズのカメラを中西君がお土産にくれたNYの素敵なシャンパンが入っていたブリキの缶に載せています。上下、左右の矢印を動かすとテーブルの上の料理や部屋などが一挙に見られて楽しいのです。
わざと演出してドラマ仕立てにしてみました。


昔友達と新しい友人

Filed under: 友人 — patra @ 1:17:36

DSCN8001違和感なく溶け込んで遊べました。いつも爆笑ばかり・・・
本当はのんは父親を亡くした息子を励ましに来てくれたのです。私の昔の優秀アシスタント、えっちゃんも一緒。彼女達が親友同志でもあるのです。
不思議なお友達の縁は共通の友達も居て、どんどん広がって行きます。


2013/12/10 火曜日

高橋靖子さんのお裾分け、ユリ根

Filed under: 友人,料理 — patra @ 1:02:59

先輩の高橋靖子さんにダビングし送って頂いたDVDのお礼!とお茶漬け海苔等をお送りしたら,お電話があり、ヤッコさんのアシスタントだった北海道の方から贈られたユリ根をお裾分けします・・・との事、かえって恐縮してしまう。
月曜日に届いたユリ根、見事な大きい物でした。下処理をして湯がきました。DSCN7955DSCN7959
DSCN7962茶碗蒸しや炊き込みご飯にして、それから梅干しを出汁で溶いてユリ根に合える一皿も作りました。DSCN7963こんな贅沢は東京人は滅多に味わえません。京都のようにユリ根がないとお正月が迎えられない・・・と言う程ではないからですが。ヤッコさんの友情の,お陰さまで息子達は初めてこのホクホクしたユリ根を堪能できました。
お電話を頂いたのに翌日、ハガキのお礼も届き、やっぱり現役でお仕事なさっている方は違うな〜
キチンとなさっている・・・とつくづく感心しました。

ユリ根と一緒に絶版になった初版本の「表参道のヤッコさん」を、まだ送ってなかったですね、パトラさんの事も書いたのよ・・・と送ってくださいました。
文庫本は既に持っているのに,貴重な初版本まで頂いてしまい、まるで海老で鯛を釣ったような、申し訳ないような嬉しい様な、大得をした気分でした。ごちそうさまでした。


2013/12/7 土曜日

古いポラ

Filed under: 時代 — patra @ 23:52:17

残念なことは引っ越し騒動で私のアルバムを無くしてしまったことです。
若い学生時代、新婚時代、青山のスタイリング事務所時代の写真がほとんど手元にありません。

ところが偶然にも広告写真家の立石敏雄さんがライテイングテストをする為に私を座らせて撮った、古く痛んだポラロイドがノートに挟んであるのを見付けました。

Patra-34

若い、すこし暗い目をした自分が写っていました。34歳の時の写真です。

森岡佐智子さんのデザインした切り嵌め小紋風のニットを着ています。

カリスマ美容師の伊藤五郎さんにデザインしていただいたヘアスタイルは細かい三つ編みのパーマでした。
一番お洒落だった頃・・・

なぜ暗い目をしているか?というとこの時期、息子Kyoが小学校5年生で学校帰りに交通事故にあい、瀕死の重症で入院中だったからです。
1年間は懸命に自宅と病院を往復し看病をしていました。

1年半過ぎた頃に息子から「ぱとらの大事な時間を奪ってごめんね・・・僕もリハビリ頑張るから仕事に戻ってね」
と言われた時期です。

まだ34歳でしたがこのブランクは私の仕事には大きな痛手でした。
そんな時に常に声をかけてくれた立石カメラマンには本当にお世話になりました。

女優山本陽子さんの仕事だったと思います。ライテイングテストをイメージ違いな私がしています。彼女とは同じ年齢です。

結局息子は2年間入院し松葉杖で退院しました。
小学6年を1年遅れ、中学へ進む頃、青山の事務所を閉めお茶の水の両親の家に同居し、息子を育てる比重を3仕事を2に励んでいました。

笑うことも出来ない張りつめた思いの中で必死に生きていた頃です。懐かしい若い自分です。


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