2014/10/14 火曜日

アントニオ・ガデスの記録

Filed under: 人物 — Patra ICHIDA @ 22:15:28


フラメンコダンサーの第一人者のアントニオ・ガデス、ピラール・ロペス日本公演のときは父も母も元旦那とも見にいったくらい家中フラメンコファンでした。
父がフラメンコギターを弾くのが趣味だったせいですが・・・
2004年7月20日に67歳でなくなっています。何と同じ年の12月29日父は92歳で追うように亡くなっています。
コジツケですが何か妙に嬉しい。
家族中で映画も舞台も見に行った思い出が懐かしいです。
冒頭のヨットに乗っているにこやかな老人がガデス・・・病に倒れ誰にも死に顔を見せなかった美意識、わかります。本当に精悍な美しい人だったから・・・

志風 恭子さんから引用させてもらいました。

『2004 年7月 20 日午後5時、マドリードのグレゴリオ・マラニョン病院でアントニオ・ガデスが胃がんのため亡くなった。享年 67 歳。故人の意思により、葬儀の類は一切行われず、遺骸は翌日荼毘にふされ違灰はキューバに送られた。

舞踊家、振付家。 1936 年アリカンテ県エルダの生まれだが、マドリード育ち。家計を助けるため幼くして働きはじめ、踊り始めたのもお金を稼ぐ手段としてだった。ピラール・ロペスに見いだされ、彼女の舞踊団で活躍。ピラールの相手役として 1960 年に初来日している。 61 年退団。後、 63 年の映画 「バルセロナ物語」でカルメン・アマジャと共演。同年、後のガデス舞踊団につながる最初のグループを結成。 1974 年、スペインを代表する詩人ガルシア・ロルカの戯曲をもとに「血の婚礼」を初演。この名作は、 81 年、巨匠カルロス・サウラ監督の手で映画となった。

1978 年、スペイン国立バレエ団結成時の芸術監督に就任。 80 年の退任後は、自らの舞踊団、アントニオ・ガデス舞踊団で世界を舞台に活躍。またサウラ監督と組み、「血の婚礼」に引き続き、「カルメン」「恋は魔術師」を撮影。 1983 年には美術国家賞、 86 年には舞踊国家賞を受賞している。
』
映画「カルメン」( 1981 年)、そして 1986 年に行われた舞踊団での来日公演で、はじめてフラメンコに触れた人も多いことだろう。かくいう私もその一人である。映画で興味をもち、劇場に観にいったのだが、その細部まで神経の行き届いた完璧な舞台に圧倒された。

一回だけのはずが、会社をさぼって当日券(前売り券は売り切れだった)に並び、 3 階席からみたステージの美しさは今も目に焼き付いている。照明、人の動き、音楽 … 。全てが完璧に計算しつくされていた。絶妙な間合いで流れるようにすすんでいく。アントニオ・ガデスの、あのストイックな容貌に、すべての感覚がとぎすまされたようなあの動きにも魅了された。オヨスの、力強く女性らしい動きにも。そして、カーテンコールでのブレリア。そのリズムがとれなかったことが、私をフラメンコにのめりこませたのだ。ガデスがいなければ今スペインにいるこの私はいない。 』ネットで検索した方の感想を記録としてコピーさせていただきました。


嵐が過ぎて青空が気持ち良い

Filed under: 日々雑感 — Patra ICHIDA @ 13:52:15

DSCN7390DSCN7395ただ柳が揺れている。
DSCN7400風が強いのだろう・・・


嵐の前の池之端

Filed under: 日々雑感 — Patra ICHIDA @ 1:15:07

DSCN7382霧で霞んでとても綺麗です。雨降る前です。


2014/10/13 月曜日

和食

Filed under: 料理 — Patra ICHIDA @ 20:47:04

DSCN7385紅鮭の付け焼き、舞茸,ミニコーン、万願寺獅子唐のつけあわせ、
ホウレン草のお浸し、タマネギの味噌汁、一人分売っている松茸ご飯は美濃吉です。松茸とは名ばかりの薄ーいペラペラですが贅沢言えません。


丹下さん他の「東京計画1960」

Filed under: 人物 — Patra ICHIDA @ 13:50:51

DSCN7286DSCN7279

猪子君のお知らせで見たBSTV隈研吾さんの幻の「東京計画1960」の丹下健三さんは父と帝大同級生、晩年の亡くなった病院も主治医も同じ・・・子供の頃から常に丹下さんの動静は我が家に密着した存在でした。
卒業年度からつけた「13年会」という家族ぐるみの写真集を出すくらい結束したクラスでしたから、嫌でもクラス全員の家族ニュースまで目にはいるわけです。
余りにも丹下さんが有名になってしまったので全員が70歳くらいで写真集は終わりになりましたが・・・

それより敗戦後の東京復興1945都市計画に携わり無念のうちに半分も就行出来なかった石川栄曜さんが今、私の住んでいる池之端の不忍池を敗戦後、野球場計画から救い公園として残したご本人だと知った事です。
DSCN7323運命を感じてしまった。
感激です。
父が住宅公団を辞めなければ上司だったかも、同じくギターが好きだったらしい・・等、色々感じることが大きかった番組です。DSCN7319
戦後の子供達に「大人は夢を見られない・・・君たちこそ美しい日本を作って欲しい・・・」という小誌を残されていると紹介され猪子さんも涙が出るといってましたが、私も泣きそうになった。
丹下健三の軸線を常に考えた都市計画、丹下の弟子で反発しつつ同じ思いの磯崎新の広がる粘菌のような都市計画、そして「西洋の勝った国の計画」とGHQに反対された人間のライフに着目した石川栄曜と良い・・・彼等の都市計画には「愛」が根底だったと確認できた、良い番組でした。

DSCN7340DSCN7336未来の子供達に託した言葉に胸がせまります。
DSCN7329ここを見下ろして暮らす不思議な縁にも感慨ふかいのですが

DSCN7277しかし私が一番言いたかった事は建築家の作品の寿命のことです。
世界に誇れる丹下健三の作品、国立競技場は壊されるのです。
たった50年程で・・・・有り得ない国の無策に、これでは建築作品は浮かばれません。
絵画や写真がほぼ永久保存されると言うのに・・・
日本という国の貧しさを思い暗澹とします。明治神宮まで一直線に軸線を通し祈る思いで建てた復興の兆し、次のオリンピックまで遺産文化として保つべきだったのでは。

50で建築を引退し天文学へ移行した父は予々「日本の原住民は負け負けなんだよ」と言っていたが、この負け負けという意味をもっと詳しく聞いておくべきだった。
百年、2百年保存しようとしない公共建造物など金輪際作るべきではない。


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