2004/8/16 月曜日

親見習い

Filed under: 家族 — patra @ 3:10:42

パリへ帰えるのも、ついに2週間後となった、カウントダウンの日々。急に肌寒い朝に戸惑います。
我が家の若者は金曜日は中学時代の仲間5人と鶏鍋屋で同窓会、土日は武蔵野美大の仲間と音楽合宿、・・・束の間の命の洗濯をした息子たち、すっきりとして御帰宅です。ポッカリと開いた時間を上手く埋められたのも友人達がタイミングを合わせてくれたからこそでした。めでたい。もう彼等は十二分に大人なので昔のように遊びを私がいちいち設定してあげなくとも外で外食したり泊まってきてくれるので一安心。

仕事大好き人間なので、放っておくと机から離れない昔が懐かしい位、宴会を企画しようにも全く親が出る幕もない最近に私のお盆休み計画はさりげなくお蔵入りさせました。

何と全員子持ちになった大学の同窓生、話題は「親の事」に集中だったそうです。自分が子供の時は感じない親の良い面、悪い面、みな自分が子供を持つ事に成って始めて理解するものだが、哀しい事に歳老いた「親」にアレは酷かったよ!、とは面と向かって言う事は出来ないものだ。せめて
『自分が嫌だった事をわが子には決して言わない、しない事。』それが前向きに生きること、かな?そして初体験だっただろう自分たちの親の愚かな言動を許してあげてほしいものだ。


2004/8/15 日曜日

金メダルの重さ

Filed under: 人物 — patra @ 2:00:10

谷亮子さんが金メダルを取ったことが非常に嬉しい。年末だかお正月に不吉な占いをズバリという、細木さんに相当に酷いことを言われていたからだ。名前の画数が結婚後は確かに悪い。これは健康には相当に注意する必要がある事を示唆しているが、皆,健康?と訝るのだがスポーツマンこそ限界まで肉体を酷使するので案外脆いものなのだ。
 
稽古中、足首を怪我した時はヒヤッとしたが亮子さんの精神力は尋常では無い、たとえこのアテネが最後になったとしても、必ず金メダルを、もぎ取ろうとする意志があるので大丈夫だろう・・・と思っていた。結果はごらんのとうり。
涙の中にどれほど辛い時間を凌いできたか、「谷亮子の名前で金が取れて良かったです」万感の思いが伝わってくる言葉に泣けた。

良く女性でも姓が変化するのを怖がる人が多いけれど、愛が総ての答えなんですね。(ここで言う愛は育てる愛です、念のため)たとえ大凶と出ても何故なのか?の理由が必ずあるのです。そこを看るのが易であって、理由が分かる事が大事なのだと考えるのにそこを聞く人は非常に少ない。いたずらに吉凶のみを判断するために易が存在するのでは決して無いと思うけど・・・・。

勝って良かった、谷亮子さん。夫の谷選手の背中、喜びに満ちてましたね。


2004/8/14 土曜日

その男ゾルバとオリンピック

Filed under: 日々雑感 — patra @ 6:44:29

いよいよ数時間でアテネのオリンピックが始まるのでTVをつけっぱなしで待っていると、珍しくギリシャ、という繋がりかアンソニー・クイーンの「その男ゾルバ」を放映していたので途中からちょっと見る。確か女学生の頃に見た記憶があるが、気骨だけの危なっかしい男性像に全く興味は持てなかった。

それがどうだろう、今回はこのゾルバのヤニ臭ささ、いいかげんさが憎めない。愛嬌さえ感じるのだ。男ぽさが結構気に入って最後までみてしまった。歳をとると男の主役の映画も確実に許容範囲が広がるから面白い。昨夜見た池部良さんの「君死に給う事なかれ」しかり・・・池部さんがあんなに完璧な男前だとは子供の頃は全然分かっていなかった。後年、高倉健さんの仁侠物で番傘を手にハラリ、と振り返る立ち姿の美男降りに「これぞ、日本男子」として我が目を疑ったものだ。何だか歳を取ってやっと開眼したような、ちょっと得した感じ。

今度のオリンピックも最後のさいごまで工事が間に合うか世界の気を揉ませたギリシャだけれど半分がこの映画のゾルバみたいな人々だとしたら開催できるまで、さぞ大騒ぎだったことだろう。
とか書いていたら後ろのTVから・・・

あ、なんだか勇壮な太鼓の音とともに開会式、やっぱりとても男っぽい。会場が素晴らしい上にパレードが見事で紀元前からキプロス、ギリシャ彫刻等を題材に塩基記号まで一気にオリンピックの歴史のみせ方に引き込まれて言葉もなかった。ごめん、ゾルバの子孫は凄い底力を持っていた。花火の美しさなんてもう近来、見た事がないくらい綺麗だったのは何故だろう。そして彫刻に扮した若者の美しさも完璧だったのでつい徹夜。
このオリンピックは女性の旗手が非常に目立ったのも特徴だった。
マオ・カラーの真っ白いスーツ姿の男達が一番素敵なユニフォームだったが何処の国だったか?


2004/8/13 金曜日

でっかい夢とは

Filed under: 未分類 — patra @ 0:17:19

セントルイスの友人、順子さんが電話で教えてくれた事だが、彼女は地元の大学病院に勤務しているのです、そこにあの落馬して脊椎を損傷した俳優のクリストファ−リーブスがプール治療を受けているのだそうだ。名前を知らない人も「スーパ−マン役者」と聞けば、あぁ、あの人!と頷くはずだ。目下、その病院であらゆる遺伝子治療と共にプールの中で浮力を利用して筋トレをしている彼は、著作や講演で歩く為の希望と努力なら何にでも挑戦したい・・・夢は捨てない!と器械音声を使って熱心に訴えているという。順子さんはマラリア熱を研究している教授の秘書だから詳しいことは知らないけど、と言いながら「今、病院の関心事は遺伝子操作で難病を直すことなのよ」と付け加えた。
 
私と息子は現代科学では治療法のないとされる筋肉の病気の一種だから、「ブルーモルフェの少年」のように脳腫瘍が消える奇蹟のようにはいかないけれど希望は捨ててはいない。いつの日か頑丈な筋肉遺伝子を塩基9番?に移植して・・・トランポリンのように飛んだり跳ねたりしたいもんだ。
 
知り合いの息子さんが高校生の時、ラグビーのスクラムで負傷し、一瞬の内に首から下の麻痺に襲われた。息子は「僕達のように生まれた時からこんなもんだ、と受け入れるのと意味がちがう、どれだけ葛藤があるか考えたら、我々は幸せだよ、動けるだけで今を感謝しなくちゃ・・ね」といつも笑顔。
笑っちゃうような小さい夢でも一つ一つ可能な夢に向かって彼が着実に歩くのも、だから間違いではないのです。

大き過ぎるよ、と笑われても科学が進歩して不可能が可能になって難病が直る世紀、戦争が封印される世紀がきて欲しい。これが私の夢なんだけど。


2004/8/12 木曜日

小さすぎる夢

Filed under: 未分類 — patra @ 1:55:52

ブルーモルフェという蝶は非常に珍しく採取するのが困難なんだそうです。
その蝶を脳腫瘍の少年が死ぬ前に採取したいと有名な昆虫博士を訊ねコスタリカへ連れて行って!と懇願すると少年の熱意に負けた博士が季節はずれの山奥へ少年を連れてゆくお話が映画になっていますね。そのお話は実話で凄いのは突然現われた一羽の蝶を自力で捕まえることが出来た!という事より、なんとその死にそうだった少年が歩けて、腫瘍も消え、今も元気に昆虫の採集に励んでいるって事・・・私も見たTVを息子も見たらしく「凄いよね〜好きな事や夢を一生懸命追えば病気も消えちゃうんだからさ、君もボヤっとしてないで何か夢に向かってみたら」と説教された。この夏のうちあげられたトド状態を見るに見兼ねたのでしょうか。無礼な、私だって一生の仕事、いや勉強ぐらいあるんだわよ、と内心は反発しながらもさりげなく「確かに前向きに生きなくちゃ〜ダメってことよねぇ、ところで聞いてなかったけど君の夢って何だったの?」すると「もう叶っちゃったんだよね」と恥ずかしそうに言うので「ん?かわいいお嫁さんがきた事?だ」とさらに突っ込むと、首をふり「ずっと昔だけどさ、あまりに小さい夢だったのかね、すぐ叶っちゃった。」はっきりしない。お嫁さんじゃない夢、一体?なに、なにとしつこい追求に言いにくいそうに照れて・・・・

「25年前だけどさ、自動車電話とカーナビ!」それはきみ、物欲、夢ってもんじゃないだろうが?二の句がつげず顔を見あって吹き出した。


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