ときどき覗いては、更新されていなくとも静かに戻ってくる藤原新也さんのサイトは
大人の自由さがあって大好きなのだ。猫がウインクしている時に当れば何度もついつい訪問してしまう。長い沈黙の時はラッコ猫の写真に「元気かい?」と声をかけて戻って来る。
定期的にクリックするのが習慣になっているのです。久しぶりに訪問するとあらら・・・ブログになっていました。嬉しくて御挨拶がわりに古い記事へトラックバックを試みたが、なぜか反映されていなかった。時々こうした事が他のblogにTBする時にも起る。何故かは私にはサッパリ分からないが・・。
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my blog現象
輝く未来
5/2日NHK、深夜劇場へようこそ!で偶然に見た舞踊の舞台「激しい庭」で伊藤キムさんを知る。ブラックな眼帯が伊達では無く4歳の頃のトラック事故によるものだ、とそのインタビューで知り、思い起こす事があり、更に興味を覚えて舞台映像を見ていたのだが驚愕する。なんとも素晴らしい出来だった。
「激しい庭」という題名のユニークさももちろんだが、舞踏に多いわけの分からなさ加減がほど良く、ユーモアもあり、とても面白かった。かつて好んで見ていた土方巽や、大野一雄の踊から受けた衝撃の時代が甦る。
照明の光の捕らえ方が非常に感覚的。失礼ながら、何かに不自由があると其れ以外の感覚が突出するものだが、まさにそんな感じ。床からの照明に依るダンサーの肉体がエロティシズム溢れ、微かな光の輪郭が詩情として伝わってくるのだ。
事故の記憶に思いおこす事があり伊藤キムさんにその事を確認したいと、思いきってメールを差し上げた。
というのは・・遡る事30年前の話だが・・・
当時10歳の息子が交通事故で入院していた病院、日医大救命救急センターには、沢山の子供たちが怪我、焼けど等で苦しい治療に耐えていたのだが、その中に一番小さい4歳で片目を事故で失った坊やが一人居合わせたのだが・・・もしや?その坊やだとしたら運命の試練を見事に乗り越えたのは息子もキムさんも同志、過ごした時間の苦しさ、家族の祈りは我々が一番理解できることだから、立派な成長を、ぜひとも一言お祝を言いたかったのだ。
2週間ほどした先週末、メールボックスに丁寧なお返事をいただいた。キムさんも驚いていらしたが、もちろん人違いではあったが「世の中には似た話があるものですね・・僕は愛知でしたが、飯田橋の警察病院へ毎年かよって治療を小学校卒業する頃まで続けていました。沢山の子供たちが入院していました・・」と吾が息子の無事に社会人として成長した事も心から喜んでくださった。息子と同年令の3月生まれだ!と言う事や二人ともトラック事故という共通点だった事、ハンディを克服した者同志への理解はやさしさに満ちた文面だった。
6/8日から11日土曜日まで三島由紀夫の「禁色」の公演が世田谷パブリックシアターであるそうで、ぜひ見に来てください、と結んであった。
キムさんの「輝く未来」というダンスカンパニーのネーミングが普通に『あかるい』輝きでは無い響きに思えてきた。もっと違った意味が込められているように思う。プロフィールの重い目をした印象とは別もの、ある強刃な精神に加えユーモアまでも感じた取った私はあらゆる困難を凝視し続ける事で宿る『客観性』から生まれでた伊藤キムさんを応援したい気持ちで一杯になりました。
6/3日発売の「バッカス」という雑誌で伊藤キムさんの特集が組まれ、もう既に店頭に並んでいるそうですのでお知らせです。
雨の午後
雨が降っていたので外まで母がお出迎え・・・気合いの入った紫陽花の小紋。けっこうお洒落をしてセントルイスの順子さんをお待ちしたお陰で、母は、順子さんに誉められました。
朝はいかにも婆さん臭い黒っぽい着物だったので無理矢理に着替えさせたんですけど、ほら効果的だったじゃない?。
面倒だ、ってぶーぶー言ってましたけどね、歳を取ったらできるだけ明るめな小紋が顔に似合うものです。
「お母さんに似てます」といわれて、とたんにメゲた私です(笑)
誰かに似てますって、きっと禁句なんじゃないかな?
似てるって言われて喜ぶ人は案外少ないとおもうけど・・・
家では禁句。母はもっと嫌がります。
メインはアメリカの病院でドクタ−をなさっている中国の友人の娘さんの結婚式にご家族ぐるみで出席される半年前からの計画だったそうで、この所の不安定な日中関係を懸念する声もあったらしいが、何の問題もなく素晴らしい体験をなさったとのこと。
湖南省の何処か・・・
蘇州だったかな?学問所のあるところ、墨絵にでてくるのと、まったく同じ風景だったそうだ。ふんふん・・と聞きながら鰻で、お昼を御一緒に。
5時には幼稚園の園長さんをなさっている妹さんが車でピックアップされると言うので逢い引きの時間が貴重に思えました。
悪い癖の私は途中雨で悪いわね、和菓子がお祭りの残りで悪いわね、と盛んに謝ったら順子さんが顔をあげて私を怪訝そうに見てから
「何で謝るの?何も悪くはないのに・・・」
え?あっそうだ、順子さんはアメリカ人だったわね、じゃあ・・・
「貴女の為にお祭りの引き出物、ワザワザ取って置いてあげたわよ!」と言い直したら
「そう、それで良いのよ」と二人で俄然ペースを戻し爆笑しあいました。
知的に生きる大人の友人、芍薬の白は彼女のヘアのイメージで選びました。写真を公開するお許しは無かったので残念。
全くスケジュールがタイトだったので、これもアメリカ式に「こんど
はもっとゆっくりと来てね!」とオファーしました。
人生ピロピロと空さん推薦のダメ犬グーを飛行機の中で読むように・・とお渡ししてから
ハグ・・・。
頼朝、凄い。
「情はあっても良いが・・なくとも良い。」
義経をみやる、頼朝の静かだが深い怖さを含んだ目線、しかし凄い演技ですね。
ひなすけさんの感想を読むために「義経」を見るという
逆転発想の隠居だが、なぜかサイトへ伺うたびに私のマックと相性が悪いのか、すぐにクラッシュして落ちてしまうのが残念。御迷惑かけてましたらごめんなさい。
中井頼朝が素晴らしく良い・・巧い演技で歴史の史実からだけでは読み取れない人間頼朝が浮かび上がる。ひなすけさんもお書きになっているが、私が少しだけ不満だった滝沢義経の辿々しい台詞まわしも、かえってこの若さ、幼い正義感を表すうえで似合っている・・・という御意見になるほど〜と、いたく納得したものです。正しい見方ですね。
「義経を見ているだろうから、終わってから電話しました」アメリカから日本に来てる友人にまで、有名に(笑)。
土曜日の陰膳ディナーが効力を発揮、昨日ついに長家に入居者が決り朝一番で父にお礼報告が出来ました。
お昼からは友人と・・・けれど20年ぶりの帰国に喋り過ぎの友の電話、声、完全に枯れてましたから心配(笑)
それにしても友が来る日はなぜか何時も雨がふる・・・って事は私が雨女?