2005/6/11 土曜日

お取り寄せを工夫して

Filed under: 料理 — patra @ 12:47:39

炒めもの

出来たもの、ジャガ芋の中華風炒め

中華

こんなに風・・・
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父の日だけど・・・

Filed under: 料理 — patra @ 2:59:30

家訓ひげとるべし・・

もう居ないお爺ちゃん 「もやし」の家訓、ヒゲ、とるべしを思い出したのでヒゲを取りました。


モヤシのヒゲですお皿の方は これヒゲ・・・
父は歯が悪い癖にシャキシャキしたものが大好き、でもモヤシのヒゲを取らないとご機嫌がわるかった。
ひさしぶりにヒゲを取ってみたら、きれい。おいしい。
でも、最近のモヤシ、太くてあまりヒゲが無い、これは世間の需要に併せて栽培しているんだな・・日光山系の天然水でじっくり育てました!の分福もやし。お薦めかも・・

切るのが下手

モヤシだけでは天国から叱られそうなので何か作ります(笑)
しかし切るのは下手ピーな私です。


2005/6/10 金曜日

SLAM DUNK 「10 DAYS AFTER」

Filed under: 人物 — patra @ 4:49:19

知っているのと知らないとでは雲泥の差が出てしまうもの・・・年代に依る情報の量や質の偏よりからくる損失。私のように既存障害の進行からほとんど外へ出られない人間はせっせと感性を磨くという楽しみから置いてかれて劣化する。そんなの嫌なので注意深くサイトを巡り、そこから借り物ではない言葉でご自分の完成度を高めようと発信している方の情報に頼ることが多々ある。売らんかな!のコピーは、永年広告に携った人間なのでピンとくるからだ。

ここ何年か井上雄彦さんの名前は絵を描いている人とだけしか知らなかった。「リアル」も「バガボンド」も読むチャンスが全く無かったからだ・・・。漫画の情報源が偏るのも年齢に依る、頼りの息子が海外暮らしでは増々疎くもなる。
NHK武蔵はバガボンドを超えられないでしょう!・・と息子のメールに書かれても?何のこっちゃ?と、ズレているのに質問もせずに読み飛ばすせいだが。

井上ファンが聞いたら呆れられてしまうが1億人が購入したという「SLAM DUNK」を、さとなおさんのサイトで初めて知ったくらいだ。日頃、情報源として絶大な信頼を寄せているサイトの発信者さとなおさんが参加し素晴らく感動的なイベントを立ち上げた事は彼の日記で読んでいたが、巨大な新聞広告に載った「ありがとう」感謝企画を「わ、お金が掛かっていますね」くらいに思ってみていた。

ところがファイナルイベント終了のサイトを覗いてみて「ん?」と思った。予告編から漂う空気がちょっと・・・何だろう、普通じゃない感じなのだ。

行かれないにしても何だか浦島タロ子な気分のところへ続々とさとなおさんが奇蹟のイベントについて報告するわ、受賞ニュースは入るわ、これは絶対にDVDを購入し、検証しよう!と先行予約をして待っていたのです。

観ました!言葉を失いました。
なんというリリシズム、青春の匂い。1億人が買って読むという意味。作者である井上さんの恐ろしいくらいの絵の力量、優しさ、謙虚さ、もうジっと画面に見入ってしまった。言葉が出ない・・とはこう言う事か!

人生ピロピロ・・なんて照れているけど、大物さとなおさんとスタッフの向こう側(我々観客)へ投げ返す球の確さ「感謝のメッセージ」の何と本質を心得たやりかたかしらんと画面をみていたら大袈裟じゃ無く、まじめに崇高な気持ちになっちゃいました。もう、泣けて。

もちろん特筆すべきは作者・井上雄彦さんの人間性にも依るところが大ですが、この体力勝負のイベントが、誰もが気持ちの手ぬきを全くしていない事!それが伝わるのがすごい。観客までもがですぜ・・・唸る。

廃校になった教室の23枚の黒板にチョークだけで描かれた3日間だけの10 DAYS AFTERの物語、最終日まで完璧に保たれていたのです。

終了後、黒板に近寄り感動とともに振り返った井上雄彦さんは、

『枠線の1ケ所すら消えていない・・・ロ−プを張ったり、近寄らないで、と貼り紙しなくてよかった。・・・やったら僕の負け!見事なまでの直球を返してくれました。・・・』

心が心へ確実に伝わる、そんな抽象的な“ありがとう”の形をみごとに具現化した人々に拍手しました。観て、知って良かった。DVDにしてくれてありがとう。


2005/6/9 木曜日

右脳の訓練

Filed under: 日々雑感 — patra @ 1:05:31

右脳速読テスト
目を動かさないで読み取る・・・のがコツ!と聞くけど、いや全く判読できない。
ほんとに読みこなせるようになるのだろうか?

お昼に老母が作ったお蕎麦がやけに美味しかったので・・・
つみれと蛸の切れはしがお出汁になってました(笑)。
「偉いね〜美味しいよ」と誉めてあげた。
戦時中の癖、有るものを何でも入れる流儀が、たま〜に大成功、

つみれ蕎麦
つみれ一口齧ったあとだったけど、記念にパチリ。

料理は右脳を最も刺激すると思う。

タイへ繰り込んだ日本人サポータ達が沢山いたので驚いた、この応援の熱さが好きだった。勝って良かった。ドイツに行けるね>フミちゃん。


2005/6/8 水曜日

シャッターの向こう側に、もう一つの目

Filed under: 人物 — patra @ 2:41:04

今日から「禁色」の公演がはじまります。ほんとに偶然にNHKを観ただけなのに強く惹かれた伊藤キムさんが「AERA」の表紙になって本屋やキオスクから強いまなざしを送っている。不思議だな〜1ヶ月前は名前も顔も存じ上げない人だったのに・・・。

しげしげと表紙を眺めていたらある事に気がついた。我々を見るキムさんの眼差しはレンズに向けられているわけで、そのキムさんをファインダー越しに狙っているカメラマンの目はレンズとキムさんを通し我々を今度は凝視しているのだ・・・と。
その巨匠と呼ばれるカメラマンの目が実に優しい事を私は仕事で良く知っている。

この表紙のキムさんを写しているカメラマンは坂田栄一郎さんだ。アヴェドンの弟子で日本のファッション写真史を語る上で無くては成らない方なのだ。

スタイリストとして私のCMデビューは下着のワコールだった。其の時のモデルはシドニ−・ロ−ム、昔の美男俳優アラン・ドロンの最初の奥様でワコールが契約した外人タレント1号、その陽に灼けた美しい肌は信じられないくらい艶やかで、日本人の肌とは明らかに違う、何とも表現できないピンクがかった褐色は、金色の産毛に覆われ輝くばかりだった。

ラッシュ試写の時は男性スタッフから「おぉ!」どよめきの声があがったほど見事な色と艶は純白の下着がそれはそれは、眩しく映えたものだった。
コートダジュールでお金をかけて陽に灼く・・とはこうゆう事なのだな!という差を目の当たりにした瞬間だった。下着の撮影にそれ相当の美しさと品格を求めるにはフランスの人気女優さんの手間ひまかけた美しさとコケットリーを持って来て始めて広告塔として成り立つ事を最初の仕事で納得させられた。

その時のカメラマンがアメリカから帰ったばかりのスターカメラマン坂田栄一郎氏だったのだ。氏も平面ではないムービィは多分、その仕事が最初の頃と記憶している。ヘアはこれもニューヨークの須賀スタジオから日本へ帰ったばかりの天才、野村真一氏だった。

映画の衣装を1、2本撮っただけの素人主婦だったのにも拘わらず、その仕事をチャンスとばかり私は勢いでこなした。

そうだった・・・
そのワコールの演出プランにシドニーさんと絡むピエロが必要だったのだ。

<踊りの出来る人、誰か知らない?>

プロデューサーに聞かれ、若くてやるき満々の私は面識もないのに当時、才能溢れる天才ダンサーと誉れ高い、笠井叡氏に出演公渉の電話をおかけしたのだった。無謀にも、畏れを知らない行動だったけれど。

・・・お話を黙って聞いてくれてから笠井氏は「僕が広告に出るわけに行かないが、弟子の中にアナタの要望にピッタリな人材がいますから紹介しましょう」

その躍り手の名前を、今、思い出す事の出来ない惚けた私だが、月夜のシーンに白いネグリジェ姿のシドニーさんを驚かす月の精のピエロは、笠井叡さん紹介の舞踊家が演じてくれたものだった。
ブル−グレイのサテンで作った衣装を纏った躍り手は誰の指示もうけず、リハーサルも無しに完璧にシドニーの相手役、道化を演じてくれた。

私は自分が素人な部分をいつの時でも、その時々の最高な人材へアタックすることで足らない不勉強を埋めてきたように思う。その時の躍り手はあの見事な跳躍ぶりからしてもきっと名だたる名手だったに違い無い。

その後ドイツへ留学された笠井氏には今、その当時の叡氏とほぼ同じ年令の御子息がやはり躍り手として活躍されている。しかもキムさんは笠井さんと競演されているではないか。
坂田栄一朗さんのファインダーから見える伊藤キムさんの瞳に、そんな様々な時間が写りこんでいるのだ、と思うと人生は楽しい。

引退まじかにオリンパスカメラのCMの仕事で御一緒した時、「可愛いお婆さんになれるよ・・・パトラは」と坂田さんは、唐突に言ってくれた。

成れるならば、ぜひなりたいもんだ、と全然遠いことのようだったが還暦も過ぎ、その坂田さんは忘れただろう言葉を私は結構、指針として、しっかり生きて来たんだった。

AERAの表紙から・・記憶がであう瞬間。点と線。
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