2005/6/9 木曜日

右脳の訓練

Filed under: 日々雑感 — patra @ 1:05:31

右脳速読テスト
目を動かさないで読み取る・・・のがコツ!と聞くけど、いや全く判読できない。
ほんとに読みこなせるようになるのだろうか?

お昼に老母が作ったお蕎麦がやけに美味しかったので・・・
つみれと蛸の切れはしがお出汁になってました(笑)。
「偉いね〜美味しいよ」と誉めてあげた。
戦時中の癖、有るものを何でも入れる流儀が、たま〜に大成功、


つみれ一口齧ったあとだったけど、記念にパチリ。

料理は右脳を最も刺激すると思う。

タイへ繰り込んだ日本人サポータ達が沢山いたので驚いた、この応援の熱さが好きだった。勝って良かった。ドイツに行けるね>フミちゃん。





2005/6/8 水曜日

シャッターの向こう側に、もう一つの目

Filed under: 人物 — patra @ 2:41:04

今日から「禁色」の公演がはじまります。ほんとに偶然にNHKを観ただけなのに強く惹かれた伊藤キムさんが「AERA」の表紙になって本屋やキオスクから強いまなざしを送っている。不思議だな〜1ヶ月前は名前も顔も存じ上げない人だったのに・・・。

しげしげと表紙を眺めていたらある事に気がついた。我々を見るキムさんの眼差しはレンズに向けられているわけで、そのキムさんをファインダー越しに狙っているカメラマンの目はレンズとキムさんを通し我々を今度は凝視しているのだ・・・と。
その巨匠と呼ばれるカメラマンの目が実に優しい事を私は仕事で良く知っている。

この表紙のキムさんを写しているカメラマンは坂田栄一郎さんだ。アヴェドンの弟子で日本のファッション写真史を語る上で無くては成らない方なのだ。

スタイリストとして私のCMデビューは下着のワコールだった。其の時のモデルはシドニ−・ロ−ム、昔の美男俳優アラン・ドロンの最初の奥様でワコールが契約した外人タレント1号、その陽に灼けた美しい肌は信じられないくらい艶やかで、日本人の肌とは明らかに違う、何とも表現できないピンクがかった褐色は、金色の産毛に覆われ輝くばかりだった。

ラッシュ試写の時は男性スタッフから「おぉ!」どよめきの声があがったほど見事な色と艶は純白の下着がそれはそれは、眩しく映えたものだった。
コートダジュールでお金をかけて陽に灼く・・とはこうゆう事なのだな!という差を目の当たりにした瞬間だった。下着の撮影にそれ相当の美しさと品格を求めるにはフランスの人気女優さんの手間ひまかけた美しさとコケットリーを持って来て始めて広告塔として成り立つ事を最初の仕事で納得させられた。

その時のカメラマンがアメリカから帰ったばかりのスターカメラマン坂田栄一郎氏だったのだ。氏も平面ではないムービィは多分、その仕事が最初の頃と記憶している。ヘアはこれもニューヨークの須賀スタジオから日本へ帰ったばかりの天才、野村真一氏だった。

映画の衣装を1、2本撮っただけの素人主婦だったのにも拘わらず、その仕事をチャンスとばかり私は勢いでこなした。

そうだった・・・
そのワコールの演出プランにシドニーさんと絡むピエロが必要だったのだ。

<踊りの出来る人、誰か知らない?>

プロデューサーに聞かれ、若くてやるき満々の私は面識もないのに当時、才能溢れる天才ダンサーと誉れ高い、笠井叡氏に出演公渉の電話をおかけしたのだった。無謀にも、畏れを知らない行動だったけれど。

・・・お話を黙って聞いてくれてから笠井氏は「僕が広告に出るわけに行かないが、弟子の中にアナタの要望にピッタリな人材がいますから紹介しましょう」

その躍り手の名前を、今、思い出す事の出来ない惚けた私だが、月夜のシーンに白いネグリジェ姿のシドニーさんを驚かす月の精のピエロは、笠井叡さん紹介の舞踊家が演じてくれたものだった。
ブル−グレイのサテンで作った衣装を纏った躍り手は誰の指示もうけず、リハーサルも無しに完璧にシドニーの相手役、道化を演じてくれた。

私は自分が素人な部分をいつの時でも、その時々の最高な人材へアタックすることで足らない不勉強を埋めてきたように思う。その時の躍り手はあの見事な跳躍ぶりからしてもきっと名だたる名手だったに違い無い。

その後ドイツへ留学された笠井氏には今、その当時の叡氏とほぼ同じ年令の御子息がやはり躍り手として活躍されている。しかもキムさんは笠井さんと競演されているではないか。
坂田栄一朗さんのファインダーから見える伊藤キムさんの瞳に、そんな様々な時間が写りこんでいるのだ、と思うと人生は楽しい。

引退まじかにオリンパスカメラのCMの仕事で御一緒した時、「可愛いお婆さんになれるよ・・・パトラは」と坂田さんは、唐突に言ってくれた。

成れるならば、ぜひなりたいもんだ、と全然遠いことのようだったが還暦も過ぎ、その坂田さんは忘れただろう言葉を私は結構、指針として、しっかり生きて来たんだった。

AERAの表紙から・・記憶がであう瞬間。点と線。
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2005/6/7 火曜日

火曜日はメンテナンス・・

Filed under: 未分類 — patra @ 2:12:04

livedoorのメンテナンスが行われるそうです。
じゃついでに私もお休み・・・
火曜日はへルパーさんの日なので、今まで台所や部屋をピカピカに磨きました!
え、何で?と思われる方も知っておいて欲しい。
老人介護保険とは、ほんとに当人(家の母は介護1なので)の部屋や近所の買い物だけなんです。
とにかく歳を重ねたら要らないものは徹底処分、身綺麗にしておく事が皆の為です。ね。





2005/6/6 月曜日

散る命と知っていても・・・

Filed under: 大河義経 — patra @ 2:13:58

たった一晩で今度は雪のように散ってしまった芍薬、あっという間の短い命でも大好きな花です。季節が移り変わる時に必ず求め、その儚さを愛でる。

今度はクチナシの季節です。これも短い命で花屋で入手困難。家のはもはや1、2倫ほど咲くばかり・・・

「義経」いよいよ平家滅亡へとまっしぐらに進んで行きますね。少しの嘘が一門の衰退を招くとは時子の思い至らない事だったろう。これを女の浅知恵!と言うのだろうか、母親だから、といって特権を振り回すのは自戒せねば、常に正しいとは限らない。
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2005/6/5 日曜日

雨あがりに・・おしらせ

Filed under: 友人 — patra @ 2:47:13

いよいよ開演の迫った
伊藤キムさんの禁色が8日水曜日から始ります。情報を知ったのが遅いのでチケットの手配が出来ませんでしたが当日売りもあるようです。お問い合せは03ー5432ー1526世田谷パブリックセンターまで。
『観ていただけないのは残念です、』とキムさんからメールを頂いたので再び宣伝、かわりに観てください。ぜひぜひ。
読売新聞の紹介記事に憤慨なさっていましたが、土方巽の舞踏を観ることの無かった世代にもっとも精神を継承していると思う舞踏家キムさんの「禁色」若い人に観て欲しい。
日本人の感性はすごく大人だったんですよ、と隠居は知らせたいのです。
  

そして同じ火曜日から「ワンday!ニャンday!」結城美栄子さんとお仲間展も始ります。
場所は銀座三越エントランスコート。

結城美栄子さんの陶器のお人形は有名ですが、私の大好きなお友だち、姪の結城アンナさんも版画を出されているようです。彼女の絵は十数年前から観ていますが、メルヘンそのもの。
女性としての呼吸の仕方が素晴らしい人なんです。

考えたら、私の好き’はすごく広い首尾範囲だな...と可笑しくなりました。





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