名作支えた「美術」の存在
成瀬巳喜男監督「浮雲」のセット再現・・・と題されたお知らせが産経の文化面にのっていたので読むと中古さんと竹中さんの名前が出ていて懐かしかった。昔結婚していた頃、夫は東宝撮影所に掘っ建て小屋を借りセット美術の特殊小物を作る会社を友人5人と経営していたのだが戻ってくるとよく「中古さんが・・・」とか「中古さんに言わせるとさ・・」としきりに口にする名前があった。
「誰?」と尋ねると東宝の尊敬する美術デザイナーらしく大学出たての夫達を何かと指導してくださるらしく、名前がでない日はなかった。
その他、黒澤組の村木さんやその奥様の通称「女史」と呼ばれる方、衣装の柳生さんなど当時日常のように耳から入る名を聞きながら、いかに優れた美術デザイナーが周りに居たかが今なら想像できるが・・・興奮して語る夫やその仲間に「ふうん・・」とねぼけた相槌をしていたのだから勿体無い話である。
新聞によるとあの名作「浮雲」のセットを手掛けたのは、その中古智氏で成瀬監督生誕百年の特集上映に合わせ、東京近代美術館フィルムセンタ−(東京京橋)の展示室に再現されている高峰秀子が演じた「ゆき子」の戦後の侘びしい部屋は、当時中古さんの助手をしてらした今は重鎮の竹中和雄氏が中古氏の描いたデザインをもとに大道具に発注する設計図をひいた・・・と書いてありました。
古い感じを出す為にまっさらな板を焼いて磨きを掛ける東宝美術独特の「焼板」のことが書かれて懐かしさがこみあげました。
私がひょんな事から広告の映像に拘わるようになった大本はこの元夫の仕事が映画関係の美術だった事も由来している。息子が3才になったある26才の初夏、人材不足だったのかいきなり衣装をやってみない?と勧められて浜美枝さんと植木等さんの「日本一無責任男」というタイトルの映画の衣装デザイン画を担当することになったのです。
初めて東宝の衣装部屋に打ち合わせに行くと何と畳の部屋です。沢山の衣装が下がった汚い部屋に監督も女優さんも車座・・・すごく古めかしい世界に戸惑いを感じました。
その時の美術デザイナーは既に1本になっていらした竹中さん。痩せてメガネがキラリと光る30代の青年でした。
一応脚本に基づいて描いた私のデザイン画を元に衣装さんが作るなり集めるなりするのです。何ひとつ指示はありません。請け負った側の理解力と自己責任、実に大人の世界です。
不安でしかたがありません。側にいらした美術デザイナーの竹中さんに「何を一番心掛けるべきですか?」と尋ねると、間をおいてから
「そうね、胸元かな・・・みな引きの絵を考えて全体は見るけど映画はアップが多い!ということかなぁ・・」とポツリとお答えになった。
閃きましたね、そうだ襟だ。襟元なのだ。その映画は諸事情あって仕上げは衣装さんにまかせたのですが映画館で観たときは多少変わってはいたものの浜さんの帽子につけたループや襟元のループが揺れている自分のデザインを素人心にも満足した記憶があります。
美術とは映像を創る上で無くては成らないものです。当時東宝には背景なら誰、塗りならこの人、雲ならこの人・・という名もない神技のような職人さんが一杯いました。
生意気にも後にCMスタイリストとなった私は彼等の名を良く覚えておいてわざわざ職人を指名して仕事をお願いもしたものです。
映画が衰退するのと引き換えに広告の世界に美術は無くては成らないものになりました。超一流の竹中和雄さん池谷仙克さんともお仕事が御一緒出来た時代がある、その技術の見事さに感動した記憶を噛み締めることで、端っこながら同時代を生きた幸せが広がります。
竹中さんが美術を担当した「MISHIMA」ポール・シュレイダー監督の映画は三島由起夫夫人の猛反対で日本での上映が禁止されていたのだが果たしてその後、解禁になったのだろうか?
その頃の事を直接東宝撮影所のパ−ラーで竹中さんが残念そうに、エピソードを交えてお話くださってからも既に早、20年も月日は過ぎてしまっているのが不思議です・・・ついこの間のような気がするのになぁ。
京橋で展示は10/30日まで無料。浮雲上映は10/13日(午後4時)10/29(午後2時)一般500円大学高校シニア65才は300円だそうです。
映画がお好きな方にはお薦めかも・・・