あと片付けをしながら・・
40年ぶりに小学校の同級生だったお友達がみえた。
もうお互いに65歳なのに、あっというまに10歳の頃の気分へ・・母も交えて話込む。
お昼は済ませた・・との事なのでお茶代わりに椎茸のコンソメをお出しすると「わ、何?凄くおいしい!」と驚かれた。
彼女は努力の人で銀行勤めから大学へ進学、高校の英語の先生をなさっていて、ご主人も先生。定年後、アメリカ旅行をなさった去年、帰国後、眼に違和感を感じ病院へ行ったら網膜剥離だったそうで即日入院手術と大変な経験をなさった。
今も視点がブレルそうで我が家の近くの病院で再検査の帰りによって下さったのだ。
2時間ほどでお帰りになった後、ついでなので戸棚のグラス類を磨きながら彼女の言葉をゆっくりと反芻してみる。
「経堂のお家に遊びに行った時、今でも覚えている貴女の言葉があるのよ・・・丁度kyo君は幾つだったかしら・・貴女は坊やをみながら、男の子だからどうしても自立し、自分で食べて行ける子に育てるように努力してゆくつもり!と言ったのでまだ独身だった私は、なるほど子育てとはこうした心構えが要るのか?そう思ったけど、そのとうりに育ったじゃない?」
そうだった、私はすごく真面目に子育てに取り組んでいたのだった。「聞いた?かあさん!」と母を振り返ると嬉しそうな母の笑顔。息子がやはり障害の遺伝子を受けついだと判った3歳ころの私の決意なのだろう。長い長い時間がかかった。
全く会えなかった40年の間に彼女も坊やを医療ミスで亡くされていた事が分かった。つらい経験を乗り越えた友人、この秋にはお嬢さんに赤ちゃんが誕生する予定らしい。
溢れるような笑顔の奥に彼女は兄さん、お母様に父上、弟、そして三ヶ月の坊やに先立たれるという歴史を刻んでいたのだった。
小学生、中学生の頃、いつも映画を観に上野まで歩いて一緒にいった友人。
だいじなポイントでは必ず再会できる友人。
眼がよくなりますように・・・念じつつ私の忘れていた記憶を呼び覚ましてくれたことが凄く嬉しかった。