父の祥月命日に
2004年の押し迫った年の瀬、29日に父は順天堂で息を引き取った。
検査入院で2度に渡る同じ新人看護師の食事介護での誤嚥から、肺が真っ白になってしまい亡くなった。
病院を訴えるにも巨大病院で問題が多すぎ、諦めたのです。
「病院に殺される」と口癖だった父。たった入院25日ばかりでの死。ものすごく寒い日の夜中だった。
大晦日前日に大至急でお葬儀が出来たのも親戚がお寺さんばかりだったので、つつがなく済ませる事が出来ました。
この写真は父の13年会という東大建築家の同窓生の交流アルバムの編集のために、最晩年の頃に、私が写した両親です。
モノクロが良いというので、これは多分没だったかな?
息子がパリから連れ戻った大人になったココニャンが何故か写って居ますw
母の着物の袖口から襦袢がチラと出て居ます。スタイリストとしては落第な写真ですねw
普段着は父の希望です。見栄を張るのを嫌った明治男です。
写真を見た母は
「嫌だ、父さんの方が色が白い・・・失礼しちゃう」に大笑いしましたw
92歳で亡くなるまで父は綺麗でシミひとつない肌でした。
私は「殿!」と呼んで居ました。釣竿とギター、箸より重いものは持たない人でしたから・・・