6年前に池之端に越してきて
窓の下に広がる四季の変化が、一番嬉しかったこと。
母が病院から初めてストレチャーに寝たまま戻って来たときは、大変な喜びようで
「パトラさん、凄い、こんな素敵な部屋をありがとう〜」と言って喜んでくれました。
手違いがあってベッドのマットレスが固かったので、直ぐ腰の具合が悪くなったり、と大変でしたが、すぐ手配しエアマットにしてあげたら、もうそれだけで私は母に取って英雄になりました。
父が亡くなった時に母、姉、私と財産分与し、お茶の水は私が相続したので、老いた母に心配かけても、と転居については相談もせずに決め、息子達も乗り気ではなかったけれど、車椅子で親の介護をしなくては成らない私には他の選択肢はなかったのです。
同じ年、姉が亡くなり、どんなときも自分で考え、結論を出すしかなかった私です。
この目の前に遮るものが無い環境は本当に不自由な我々家族には良い選択でした。
惜しむらくは、引っ越してたった3週間足らずで涅槃に逝ってしまった母にこの紅葉や桜、蓮の花を見せてあげたかったです。
母の言葉が耳に蘇ります。
「ぱとらさんが10人いれば・・・日本は良くなる」が誉めたい時の母の口癖、殺し文句でしたから・・・
私はやたらに頑張りました。一枚も二枚も上手の母でした。
誉められたかった私でしたw