丹下さん他の「東京計画1960」
猪子君のお知らせで見たBSTV隈研吾さんの幻の「東京計画1960」の丹下健三さんは父と帝大同級生、晩年の亡くなった病院も主治医も同じ・・・子供の頃から常に丹下さんの動静は我が家に密着した存在でした。
卒業年度からつけた「13年会」という家族ぐるみの写真集を出すくらい結束したクラスでしたから、嫌でもクラス全員の家族ニュースまで目にはいるわけです。
余りにも丹下さんが有名になってしまったので全員が70歳くらいで写真集は終わりになりましたが・・・
それより敗戦後の東京復興1945都市計画に携わり無念のうちに半分も就行出来なかった石川栄曜さんが今、私の住んでいる池之端の不忍池を敗戦後、野球場計画から救い公園として残したご本人だと知った事です。
運命を感じてしまった。
感激です。
父が住宅公団を辞めなければ上司だったかも、同じくギターが好きだったらしい・・等、色々感じることが大きかった番組です。
戦後の子供達に「大人は夢を見られない・・・君たちこそ美しい日本を作って欲しい・・・」という小誌を残されていると紹介され猪子さんも涙が出るといってましたが、私も泣きそうになった。
丹下健三の軸線を常に考えた都市計画、丹下の弟子で反発しつつ同じ思いの磯崎新の広がる粘菌のような都市計画、そして「西洋の勝った国の計画」とGHQに反対された人間のライフに着目した石川栄曜と良い・・・彼等の都市計画には「愛」が根底だったと確認できた、良い番組でした。
未来の子供達に託した言葉に胸がせまります。
ここを見下ろして暮らす不思議な縁にも感慨ふかいのですが
しかし私が一番言いたかった事は建築家の作品の寿命のことです。
世界に誇れる丹下健三の作品、国立競技場は壊されるのです。
たった50年程で・・・・有り得ない国の無策に、これでは建築作品は浮かばれません。
絵画や写真がほぼ永久保存されると言うのに・・・
日本という国の貧しさを思い暗澹とします。明治神宮まで一直線に軸線を通し祈る思いで建てた復興の兆し、次のオリンピックまで遺産文化として保つべきだったのでは。
50で建築を引退し天文学へ移行した父は予々「日本の原住民は負け負けなんだよ」と言っていたが、この負け負けという意味をもっと詳しく聞いておくべきだった。
百年、2百年保存しようとしない公共建造物など金輪際作るべきではない。