2005/6/1 水曜日

輝く未来

Filed under: 人物 — patra @ 1:57:12

5/2日NHK、深夜劇場へようこそ!で偶然に見た舞踊の舞台「激しい庭」で伊藤キムさんを知る。ブラックな眼帯が伊達では無く4歳の頃のトラック事故によるものだ、とそのインタビューで知り、思い起こす事があり、更に興味を覚えて舞台映像を見ていたのだが驚愕する。なんとも素晴らしい出来だった。
「激しい庭」という題名のユニークさももちろんだが、舞踏に多いわけの分からなさ加減がほど良く、ユーモアもあり、とても面白かった。かつて好んで見ていた土方巽や、大野一雄の踊から受けた衝撃の時代が甦る。

照明の光の捕らえ方が非常に感覚的。失礼ながら、何かに不自由があると其れ以外の感覚が突出するものだが、まさにそんな感じ。床からの照明に依るダンサーの肉体がエロティシズム溢れ、微かな光の輪郭が詩情として伝わってくるのだ。

事故の記憶に思いおこす事があり伊藤キムさんにその事を確認したいと、思いきってメールを差し上げた。

というのは・・遡る事30年前の話だが・・・
当時10歳の息子が交通事故で入院していた病院、日医大救命救急センターには、沢山の子供たちが怪我、焼けど等で苦しい治療に耐えていたのだが、その中に一番小さい4歳で片目を事故で失った坊やが一人居合わせたのだが・・・もしや?その坊やだとしたら運命の試練を見事に乗り越えたのは息子もキムさんも同志、過ごした時間の苦しさ、家族の祈りは我々が一番理解できることだから、立派な成長を、ぜひとも一言お祝を言いたかったのだ。

2週間ほどした先週末、メールボックスに丁寧なお返事をいただいた。キムさんも驚いていらしたが、もちろん人違いではあったが「世の中には似た話があるものですね・・僕は愛知でしたが、飯田橋の警察病院へ毎年かよって治療を小学校卒業する頃まで続けていました。沢山の子供たちが入院していました・・」と吾が息子の無事に社会人として成長した事も心から喜んでくださった。息子と同年令の3月生まれだ!と言う事や二人ともトラック事故という共通点だった事、ハンディを克服した者同志への理解はやさしさに満ちた文面だった。

6/8日から11日土曜日まで三島由紀夫の「禁色」の公演が世田谷パブリックシアターであるそうで、ぜひ見に来てください、と結んであった。

キムさんの「輝く未来」というダンスカンパニーのネーミングが普通に『あかるい』輝きでは無い響きに思えてきた。もっと違った意味が込められているように思う。プロフィールの重い目をした印象とは別もの、ある強刃な精神に加えユーモアまでも感じた取った私はあらゆる困難を凝視し続ける事で宿る『客観性』から生まれでた伊藤キムさんを応援したい気持ちで一杯になりました。

6/3日発売の「バッカス」という雑誌で伊藤キムさんの特集が組まれ、もう既に店頭に並んでいるそうですのでお知らせです。


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