書くことを失った。
ここ1年ほどブログもまとまったエッセも書いていない。
余りに環境が変化したこともあるが、何より世界中に広がった新コロナウイルスの被害が大きいために
言葉が出て来ないのだ。経済の打撃は勿論だが人の心の脆さも見てしまったからか?
2ヶ月どこへも出ない暮らしで変になりそう!と言う健康な人が多すぎる。
たった2ヶ月で我慢ができないのか?
そう思ったら彼らに伝える言葉など何一つ浮かんでこないからだ。
言える事は一つだけ
「文句が出る内はまだ余裕がある、幸せなんだと自覚せよ!と言う事だ。」
身動きできず生きている人々は甘んじて運命を受け入れているのか?
決してそうではない、もっと高みに自由な精神を巡らしているに違いない。
観察眼も磨いているはずだ。が、決して表には出さない。
穏やか、そんな瞳になる修行を「今こそ始めるチャンスだな?」と私はこの平等な時期を嬉しく思いながら
受け入れています。
買ってもらった食糧、確かに濃い味で飽きる、だが発見もある。
材料を買って細々作る自分用の食事は高くつく、残ってしまうのに買ったお惣菜は少しだけにすれば
完食できて、安いのです。
これは非常時になって、体験して発見できた事です。一切の見栄を捨てよう。
良いことだけ探して生きてゆこうと思ったのもこの騒ぎの中でです。
「かん難何時を玉とする」この一語に尽きますね。
介護してくださる方々にもっと感謝をしようと思った。自我を納める、が出来ていなかったかも知れない。
「感謝しています」 を百万遍言って二つぐらいは通じるかも知れないな。