人参畑塾・高場乱という女性
30年もお名前を勘違いをしたまま資料を探そうとしていたお人、高場 乱というのが正しいお名前だった。
調べても出る訳が無い。高畑乱 と思い込んで必死に探していました。
医療用の朝鮮人参の畑の中にあったので人参畑塾と呼ばれていた私塾を知ったのは中村天風の自伝の一節だったと思う。或いは?
乱という名前、男とばかり思うのに実は女性であり、大勢の強者に師として仰がれていた人物に興味を持ったのは、自伝の一行足らずの記述に目が止まったからである。
西郷と私塾の若者が拘った西南戦争では、西郷は大敗を期し自害したのですが、その争いで囚われ獄中に繋がれた乱の私塾の弟子達に精をつけるべく牛のソップを差し入れたその塾の名称は、興志塾が正しく、通称人参畑塾、その塾長が女性、高場乱とあったからでした。
この時代に女性で儒学者とは?
ソップとは今で言うスープ?
俄然、猛烈に興味が湧いたのです。しかも20歳の頭山満が敬愛し塾生となった塾長、乱が女性とは?
調べようとしたのに名前を間違えて記憶していたのでは分かろうはずも無かったのですが、やっと長い療養中に人参畑塾で検索、名前の違いを知りました。
想像の人物より遥かに優れた胆力の女性、男として育てられ「無名有力」を実践し多くの人材を育てたあげた女性が、男尊女卑の九州のあの時代に実在していたのですから驚きです。
興味がある方はウィキペディアで検索してみてください。
驚くべき女性でした。
晩年高場の弟子・来島恒喜が、条約改正に反対し、その推進者である当時の外相・大隈重信襲撃事件を起こし、大隈の右足を吹っ飛ばし。その場で自害したのも有名です。
愛弟子を失った乱は2年後に失意のうちに亡くなりました。
中村天風を調べるうちに頭山満に行き当たり、なんと頭山満のお孫さんは、学友だった松任谷千鶴の実母でありましたから、引かれるように高場乱へ導かれたのだと思います。
中村天風はバルテュスの奥様が師として仰いでいた哲学者で修験者、結婚の了解のため紹介されたバルテュスと出会った瞬間、お二人は抱き合って「これが恋」と理解しあった話も有名でした。
時代を読み解くのが好きなのですが年号を調べ浮び上る人物に想いを馳せるのは楽しい。
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自分の記憶違いを下に正して置きます。
古いエッセイ、2000年に「悠久の時」に書いたことを思い出しました。
中村天風を調べて行くうちに西南戦争に行き当たり神風蓮の記述から高場乱の名前を見つけたのでした。
「神風連の事を調べていたら西南戦争当時「人参畑塾」という私学塾を開いていた眼医者の娘で高場乱(いさむ)という女性の存在を知った。血気盛んな青年を指導し、捕らえられて獄に繋がれた人々にもこっそり当時は誰もが嫌がる牛のスープなど差し入れて精をつけさせていた・・・というような記述が目に止まる。どの時代にも凄い女性がいたものだ。四つ足と蔑まれたものが本当は身体に良いことを一早く知っていた女性が当時いたとは興味がつきない。」
ネット時代の今こそ、きちんと調べ正しい歴史を読み解いて行こうと改めて心に決めました。