幽玄亭玉助さんの思い出
幇間と言っても「訪問看護の訪看?」と言われるくらい今の時代には希少な職業ですが
お座敷を取り持つ江戸時代からの芸人です。
座布団1枚くらいの範囲で踊ります。都々逸も声帯模写も見事です。
私が玉助師匠にお会いした当時はもう桜川ピン助さんと師匠、二人しか東京にはいませんでした。
宴会の前に、2時間も早くお見えになって、お手伝いで集まっていた我々のそばでお話しして時間を潰してくださった。本には、もし相手が30分前に来れば1時間前には行って待っているとのことでした。
ガヤガヤと女のおしゃべりをニコニコ聞いてらした。
何故か、急に私の友人が酔ったのか、私に絡んで来て、かなりの侮辱的な言葉を投げてきました。
ご当人はモデルさんだったので自信満々です。困ったな、と思っても「其の通りぃ」と相手にしなかったら
急に玉助さん手を振って彼女の言葉を遮った。
「女性はね〜美人が良い女じゃないんだよ、中身!大事なのは中身だよ」と胸をポンと叩き、私を振り向いて「この人は中身が良い、私にゃ良くわかる!!』と助け舟を出してくれて、流石の自信家の友人も押し黙ったのでした。
とても救われた思いで師匠を見ると大きい目が優しく笑って瞬いています。嬉しかったのを鮮烈に覚えています。
人を傷買う”ヨイショ”流石の幇間さんだと今は思います。
私を面と向かって褒めて来れたのは玉助師匠とジバンシーさんだけでした。