吉田大朋さんの思い出
去年2017年2月10日に吉田大朋氏が亡くなっていた事を全く知らないでいました。
50年も前にお仕事をするようになった経緯をお話したくなりました。
パリボーグ誌と契約を結んだファッション写真業界の第一人者と無名の駆け出しスタイリストの奇妙な出会いでしたので・・・
ある自動車のCMで鰐淵晴子さんとご一緒に仕事を終えた私に、総て任せるから東京で大丸の雑誌広告もやって欲しいとオファーが代理店からありました。
同じ鰐淵さんを起用することだけが決まっていました。
まだ駆け出しの私が総て仕切るプロデューサーのような内容でした。
少し緊張が走ったのですが、やる気満々だった私は先ずカメラマンを超一流でお願いするのがスポンサーさんが一番喜ぶと考え、躊躇なく当時ファッション写真で当代一人気カメラマンだった吉田大朋さんをお願いする事に決めたのです。
何の伝手も無かったが、運良く大朋さんの助手さん3人と顔見知りだったので、それとなく打診していただきました。直ぐ引き受けるという回答を頂き、代理店にも伝えると、担当者は大喜び、ギャラも言い値で良いと即決でした。
神戸の担当者は私と大朋さんに丸投げで一切の口出しはしない、という夢のような展開でした。こんな事はそれっきりで2度と無い幸運でしたが・・・
仕事はトントン拍子に進み、ロケハンも大朋さんの車で都内を回り何ヶ所か決め、撮影用のオープンカーは大朋さんの愛車だったと思います。
所が急に思い付いたのでしよう、「大きなスーパーリアリズムの絵を持たせて横断鋪道を渡らせたい」と言い出しました。撮影まで1週間もありません。
日本に当時まだスーパーリアリズムの画家はいません。さて?其の時、頭に閃いたのは百号の巨大キャンバスに卵や靴の絵を描いていた画家上田薫氏です。
つい先日展覧会を見たばかり、早速アトリエを訊ね、目玉焼の絵、じつにリアルな油彩を貸して頂く事にしました。目玉焼きには窓が写っていてトロリと美味しそう、
所がです!!。
大朋さんは「ハーレイ・ダビッドソンが欲しい」と譲らないのです。
当時はパソコンも無い時代、本当に困りました。
「ではハーレイの写真を下さい。それを元に夫に描いてもらいます」と口を滑らして、死ぬ程後悔しました。広告の美術を仕事にしてはいますが、果たして百号もの絵をスーパーリアリズムで描くには1ヶ月はかかります。
しかも大朋さんの助手さんから届いた写真は
「この写真のどこがスーパーリアリズム?」というような、ガソリンスタンドの電柱の下で真横に止めた青いハーレーの、有りえないストロボ写真でした。
せめてハンドルを曲げてアングルに工夫があるか?ライトが付いてるとか?等の動きが一切ありません。
「これ百号にしても面白くも何とも無いですよ」とムクれる私。
夫に悪すぎる。ギリギリで写真を撮りなおす時間も無い。
引き受けた以上仕方無く頭を下げて夫に懇願しました。
何日も貫徹で描いてくれはしました。見本の写真どうりに・・・何?これ?オートバイが美しいのは自然光の下でマフラーやボディーに青空とか雲、あるいは電線とか何かしらんの映り込みがあってこそ、のリアルなのにです。
絵を見た大朋さんもシマッタと思ったことでしょう。見本のつまらない写真が馬鹿でかく描かれていただけなのですから・・・
やっぱり目玉焼きを持たせましょう!本物のアートですから!と申し出ても、頑固に首を振るのです。
思いだしても笑いがこみ上げてきます。引っ込みがつかない意地っ張りでした。
スーパーリアリズムの真意を言葉だけで捉えていた助手さん任せの見本写真では超リアル等描くことなど出来ないのです。
兎に角にも撮影は終わり、今思えば7歳しか違わないのであれば、もっとハッキリ堂々と反論すれば良かったと後悔先に立たずでした。
そのお詫びなのか中央線の阿佐ヶ谷だか吉祥寺だかの飲みやさんに連れて行ってくれました。
大朋さんとソックリな店主の居るお店・・・狭い路地
京都にロケに行くというので錦市場で大好きなクチコ(このワタの干したの)を買ってきてください、とお願いしたら
「高いんだね〜」と言いながら手渡してくださった。
勿論御払いしますよ、と言うと良い良い、と手を振られて目が笑っていました。
それから『今度は僕が』と化粧品のポスターのお仕事を下さって・・・
その前後、新宿ゴールデン街のバーに友人3人と飲みに行ったらミセスの編集長と大朋さんにハチ合せしました。
御挨拶するといきなりミセスの編集長が私に
「天下の吉田大朋を広告に使うなんて、あんた何様?生意気だ、どれだけ高い人か知っているのか?」と多分、酔った勢いで喰ってかかってきて魂消ました。
『ギャラに関してはご迷惑かけて無い筈です』と私。ウンウンと頷く大朋さんでした。
たった2本の仕事でご縁は敢えなく終りました。
直後に息子の交通事故で私は暫く業界を休み、自分を激しく責める暮らしに入ったからです。
このお写真は大朋氏の多分60代頃だと思います。
私がお仕事をご一緒した頃は、40代?、お若く髪形がもう少し長めで、ロックスターのように格好が良かったです。広い事務所の床張りを白い運動靴がお洒落でした
去年2017年の2月9日にダンディズムの撮影があり翌日自宅で心不全で突然亡くなられた!と秘書の方から伺い、初めて年令が82歳だったと知りました。
何と私と、たった7歳しか違わなかったのが驚きでした。
大物のオーラが半端無く漂うお人でした。
仕事復帰後の私は一度青山で偶然に遭遇しました。
「まだ仕事してるの?」と訊ねられ「はい」と答えたのがさいごでした。