2012/4/25 水曜日

京都交通事故のトラウマ

Filed under: 家族 — patra @ 0:34:44

京都での交通事故のニュースから,思い出すのも辛い36年前の息子の事故が蘇る。あのときの辛さは表現できないほどだった。
下校途中青信号で横断歩道を渡り始めた息子へ、渋滞で交差点の真ん中に止まってしまっていたトラックを交通整理に出ていた婦警が息子も信号も無視して、手でトラックに動くように指示をだしたのだ。
信号の青で歩き始めた息子は轢かれた。
対向車両が一斉にクラクションを鳴らしトラックと婦警が気がついたので命は落とさなかったが骨折15ヶ所全治2年の大事故だった。
あきらかに婦警のミスだったが、当時の世相は警察を糾弾できるような社会状況になかった。父も元夫も無力に押し黙って権力に巻かれていた。
私は泣き喚いて弁護士に抗議したが無駄だった。

しかも元夫は裁判に必要な事故から退院までの私が付けていた闘病日記をタクシーの中に起き忘れ紛失するというだらしなさだった。
家族の団結もバラバラになってしまうほど辛い思い出で良く立ち直れたものだとおもう。
立ち直れたのは当時10才だった息子自身の生きるエネルギー生命力のお陰だった。

今度の京都のニュースを見ても、なんの落ち度もない子供達や妊娠中の若いお母さんやお腹の子も命を落としてしまった。家族の心中を思うと言葉がでないのだ。

加害者の少年は未成年ということだが今迄も無免許運転を繰り返していたらしい。恐ろしい問題意識の欠如である。
そこで急に思い出したのだが同じ救急救命センターに無免許で運転し衝突して入院した少年が居た。確か14歳だった。母子家庭の中学生だった。
普通の子だった。
少年は誰も殺めず自分が骨折したわけだが、その事故を自分でどう反省し乗り越えたのだろう?
しかし、今度の京都の少年は・・・代償があまりにも大きい
反省などで赦されぬほどの惨事をひきおこしたわけで・・・被害者の気持ちからは万死に値する。
息子を轢いたトラック運転手も裁判になった。
服役したかどうかわ裁判に出なかったので思い出せないが・・・運送会社が保険をかけていなかったのも悲劇だった。その運転手は今迄優秀だったので全車両に保険をかけなかった会社の手落ちでもある。悲劇とは重なってやってくる。

中学か高校生の頃か?息子はある日「もう運転手を恨んではいないよ、この事故で得るものも大きかったから、機会があればそう伝えたい」と言ったのだ。

事故後、入院中に、背中に赤ん坊を背負った女性が訪ねてきて泣いた。運転手の奥さんだった。でも赦せないで押し黙っている私の側で今は亡き母が「お互いに不幸でしたね」と声をかけたのだ。立派だった。

お陰さまで不自由になっても息子も生きている。亡くなってしまったのとは意味が違う・・・あの熱い鉛を飲み込むような辛い思いをどう癒せばよかったのか・・・仕事をして!と息子が言い、それに答えて必死に前だけみて生きていたようにおもう。

痛過ぎる経験だった。

封印していた痛みが、京都の交通事故で蘇ったのだ。被害者の家族を思うと深く深く心が沈む。
交通事故という人災を憎む。

facebook

RSS feed for comments on this post.

© 1999 - 2018 Patra Ichida, All Rights Reserved.