2011/12/10 土曜日

困を脱す喜び

Filed under: 日々雑感 — patra @ 1:46:47

「困」

険(けん)にしてもって説(よろこ)ぶ。
困(くる)しみてその亨(とお)るところを失わざるは、
それ唯(た)だ君子のみか。

[沢水困 たくすいこん]

【訳】
困窮の極みの険難にあっても、乗り切った後の悦びを信じて
やり通すことのできるのは、君子だけである。

しかし、どんな人でも困難から学ぼうとすれば、
苦しみが何を教えているのか会得できるものである。

これを「困学」という。

苦しんで学べないのは小人であり、
小人のままでは困窮を脱することは難しい。

『易経 一日一言』より(致知出版社刊)
敢えてここに司馬さんの言葉を記録します。日本は今まさに「困」のただ中に居るのに自覚さえしていない指導者達は、けっして君子(知者)とは呼べない。未来に展望を持てない国にした罪は無関心・・・という我々小人(無知)でもある。


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