2011/7/13 水曜日

縁・・・

Filed under: 人物,時代 — patra @ 0:44:13

時々メールを下さる方が,突然長い長い家族の系図のようなものを書いて送ってくださった。
多分,携帯で送られているせいか句読点が読みにくい。許可をいただいたのでここに記憶として載せさせていただきます。
彼女は息子と同じくらいの年令、母上を介護なさってましたが、やっと施設に入れられたそうです。
若くして仕事をしながら一人で親を介護していくのはとても大変ですので交流はそんな所からでしょうか。
私が引っ越しし、無事に母を見送ったことをとても喜んでくださってのメールが続いて・・・。
そんなある日,唐突に語られる家系図がとても面白いのでした。

予々系図の途絶える家系は女系家族が多く、養子縁組して入る殿方が先祖にいます。余程の根性が無いと、系図はやはり途絶えてしまうのが宿命で養子縁組はこの宿命を立命にし切り開いていこうとする昔ながらの家族の知恵の現れです。
彼女が御先祖を偶然NHKの番組から検証できた!そんなお話が届いたのです。
DSCN0769

・・・変わって 先週 NHKのタイムスクープハンターという番組で 安中藩の”マラソン侍”を放送しました。役者さん扮する母のご先祖が 碓氷峠を走っていて 感激(^O^) 興味がありました。
『海保佐次馬』 で検索してみてください。 もう一人 ちがう先祖、順三も 走っていたのは知らなかった?忘れていた?ので わかったのは収穫でした。
昔 勝新太郎が佐次馬を主役で演じた 『まらそん侍』 という映画があったそうで、花菱あちゃこ という人も出ていた古い映画です。
佐次馬ともうひとりが 好きな女の子をめぐって 競走するという青春コメディだとか。これは みてみたい。しかし 本物の 佐次馬は もうこの時 もうそんなに若くはなかった。最年長ランナーだったはず。
佐次馬は私の祖父の実の祖父です。
佐次馬の息子が順三の家を継いだのでウチは順三の家系です。祖父は安中が治めていた千葉の生まれです。

婿をとり養子を迎え江戸時代は頑張ってきた家系も平成の今、順三の家しか続いていません。

wikipedia で『海保帆平』を 検索すると わかりやすいかもしれません。『海保側がいったん承知したあと断るという事態』という記述、

帆平は他の海保家が女の子ばかりで跡取りがいない為にそこの家に入る予定だったのでヘッドハンティングされてもイエスと直ぐに言えなかったみたいで迷っている相談の手紙を安中に送っています。結局そこの家は婿を取ったとか。こんな誰もしらないような話を知っているのはうれしい。もう生きてる皆、興味もなく本当に知られない話となってしまいました。
昔の公務員は跡継ぎがいないと給料が入らないということになってしまうのでしょうから。

司馬遼太郎の坂の上の雲には 帆平が龍馬と剣の試合をする場面があります。龍馬も安中の刀鍛冶の作った刀を持っていたそうな。 中略

一応 訂正します。私の祖父の祖父、順三は 左次馬(佐ではなかった)の息子を跡継ぎに したと 書きましたが 正しくは 養子をとり 兄のさじまの三女を養女にして 跡継ぎとしたのです。三男 順三芳富は 文政七年生まれです。江戸生まれ?安中生まれ?本郷弓町に兄と住み千葉周作のところへ稽古に通っていた。

PATRAさんの以前のお住まいの近くかしら。
千葉、下総で明治12年に56才で没。慶応二年に 実子これ無きにより 略 (養子と長男左次馬芳通の三女を養女にのこと) 願の通り仰せつけられる。祖父の親は 慶応二年に 結婚したということでしょうか。 コツコツと年表みて年号調べたら 面白いのでしょうね。 私は 明治となり最後の侍となった 信州小諸から 婿にきた人の話が 好きです。

生活を淡々と飄々と。この話も また いつか書かせてください。
剣の達人 海保帆平芳郷は 江戸生まれ 千葉周作の門下生、本人は後に本郷元町で 海保塾を開いていた。本郷弓町という地名が今もあるのかわかりませんが 本郷弓町教会は有名ですから 実際あった地名でしょう。元町というのも あったのか また 調べてみますね。

もうひとつ訂正、この資料を作ったのは 祖母の弟と書きましたが従兄弟だとおもいます。
あとがきには昭和40年72歳とあります。 三年かけ 水戸に調べに行ったりして 4ミリの原紙に鉄筆を動かしたが 不器用と老眼が 霞んで遅々として進まない 旨 書いてあります。
しかし この文字と資料の字が違う。
それから 20年後 また三年かけて さじま家の嫁が 足跡をたどり 新たな資料を加え 書き直している。細かい手書き、水糸での和綴じ この手作りの資料を のこした気持ちを 私は忘れたくないのです。

長いメールの何処に興味を持ったか?
予々考えていた事と一致する記述を発見したからなのです。
女子だけしか生まない家は早晩系図は7代くらいで途絶えます。この現代では特に養子縁組は流行りませんが家系を辿り護るのも女子です。男子の出ない血筋の謎を辿ると必ず御先祖が養子縁組しています。

足の早かった左次馬の息子がこの方の御先祖になり、有名な剣術家の海保帆平が本当は乞われて入る筈だった・・・等と言う辺りをご当人が知っている所が重要です。語り伝えた家族が居るという所です。
どんなに優秀な家系でも存続という事に熱心でないかぎり現在ではどんどん血筋は薄まってしまうものです。
一時期ルーツを探るという事が流行りました。
自分なりのルーツをご両親、祖父母に必ず話して頂くのはとても大事だと思うのです。
私のお出したご返事は
「貴女の中のマラソン侍の血筋のようにこれからもまけずに頑張りましょう」でした。彼女のさいごの一文が全てを現しています。とても尊い。

追記するならば不思議に水戸は父とも深い縁の在る所、弓町も元町も我が家のすぐ側でした。
親類には武道家もいます・・・が武家の出ではありません。
縁で繋がった何かが彼女にこのメールを書かせたのでしょう。大事に記録しておきましょう。

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