2011/6/18 土曜日

wの喜劇

Filed under: 日々雑感 — patra @ 15:49:25

DSCN0138DSCN004020数年前に息子の看病でパリへ渡った時の写真が何時も食器だなに飾ってあります。
同じ人物とは思えないくらい細かったのです。48才でした。仕事を引退したのは52才の時でした。森瑶子が亡く成った年令に達した時ですが瑶子さんが生きていたら今、丁度71才です。来年私も70才になります。
早々と引退したのは仕事づけ!の人生に後悔したく無かったからですが、仕事量も激減、体力も落ちていました。
親孝行する!とばかり年老いた両親との暮らしが始まったのですが・・・家族とはお互いに遠慮が無い分、双方で相当な忍耐の生活が続きました。それでも頑張れたのは父母が私の介入を受け入れてくれたからに他成りません。で、なぜタイトルのWの悲劇なのか?
それはDSCN0155
現在の私を看護師さんが写してくれました。答えはウエストの悲劇です。
どうお腹をひっこめても大女に写ります。笑。
この両親との暮らしの後半20年間で確実に体重が増加していたのです。しかもあまり自分では気がつかなかった!!迂闊なり・・・自分。
この体重の増加が元々細い骨格に悪影響を及ぼし、ついに骨折2回の車椅子生活になったのですが。

し か た な い !かと諦めていました。(笑)
DSCN0252
大好きだった家を売、新しい住居になるきっかけは車椅子で老いた母を介護せねばならない運命だったからですが
引っ越して来て喜んだのも束の間,母は僅かな日にちで大往生を(私はそう、思っています)遂げたのです。

先日、税務署が来ました。路線価より高く売れたのは?等の質問が細かくありました。
どうしても欲しいという会社の存在のおかげでしょうか?
全てが、ご縁、御先祖の計らいで池之端にやってきました。そうとしか考えられません。
今でこそ凡庸ですが波乱な人生でした。
何を優先でやるか?一事が万事に命がけでした。その事のみに、ひたすら従って生きてきたのです。流れに身を任せ、孝も不幸も受け入れていたらありゃら・・・
・・・何と言うか分厚く頼もしい胸板になっていた。
DSCN0330
良いも悪いもし か た な い。
だからと言ってウエストばかりは流れに任せられませぬ。
58センチから68センチに、78センチで骨折,まさか88センチの悲劇にはしたくないのですがこの侭では危ない。運動しはじめました。
先日訪ねてきた友達が絶句してましたから・・・泣。

だが,一方の考えでは,丸々としてた母は死ぬ間際には体重が減り痩せた肩が慎ましかった。
つまり人生はプラスマイナスゼロと言う事でしょうか?
日中座りっぱなしの車椅子では全部の余分がウエストに貯まるのです。悔しいけどしかたない。
詰まる所,現状維持がやっとでしょう。
アイスクリームもクッキーも目の前から消えました。
目の前から消えたものが有り過ぎな人生です。笑っちゃう。というか笑うしか無い。


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