怪我から会得
偉大な修業などというと、
どんな奇抜な人間離れしたことをすることかなどと思う間は、
まだ何もわかって居(お)らぬのである。
尋常日用の工夫に徹するのが大修業なのである。
大いに悟りを開こうと思って、
先(ま)ず佛(ほとけ)という偉大な者の
秘義をつかもうとあせって居る僧に、
趙州和尚(じょうしゅうおしょう・唐末の名禅僧)は答えた。
朝食は食ったか。
はい、いただきました。
食器をよくかたづけなさい、と。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊
人に物を食べさせるのが好きだった私が不覚にも火傷など負うと、やっぱり暫くお湯の鍋が恐い。
レンジでブロッコリーは色も柔らかさもピッタリ
だが、インゲンは失敗した。色悪し。
昨日のオクラも筋張って失敗・・・レンジで野菜をチンも頃合いが中々難しい。
日常の修行はご飯を作り、食べ、後かたずけを倦む亊無く繰り返すに尽きる・・・
侮ってはいけないレンジ、夫々の野菜に相応しい数秒を見極めねば、なんて大袈裟か?
時代遅れを実感する。
足に残る火傷の痕を全く気にしないで済む年令になっている。人生は中々です。見苦しき老女のショートパンツ姿と永遠におさらば出来たわい。