2005/4/24 日曜日

16年前の日記・・・

Filed under: 日々雑感 — patra @ 3:01:01

腕がだるくてしょうがない。鯖もサバけ無いくらいだもの、なんて駄洒落ている場合じゃないけど晩ご飯は、残り少ない時間を息子夫婦と一緒にあり合わせ。白菜と豚の薄切りを交互に重ねて圧力鍋で3分、あっという間に一品が出来上がる。野菜三昧のお惣菜でした。

探し物をしてて、ちょうど16年前のノートが古いショルダーバッグから出て来たので開くと、鉛筆文字が下手クソでしかも薄くて判別不能、情けないような文字の日記というよりメモ、一体何を考えていたのか読むと。6/24日にこんな記述。


美空ひばりさんが夜中に順天堂病院で亡くなった。私と納音が同じ「沙中土」だから、とても気になっていた。涙が出た、冥福を祈るしかない。


続いてデザイン事務所に勤めはじめた頃24才の息子についての記述もあった。


Kyoが夜中の11時頃、戻って来た。半年ぶり、頭髪が延びほうだいでまるで法界坊状態だった。食事をしている間に髪を切る。とら刈りになってしまった。円形ハゲが二つもあった。
今夜戻ってきたのは初めての月給を貰ったのでお婆ちゃんとパトラにお小遣い2万づつくれたのだ。
「ほんとうは何か買ってあげたかったけど」と言っていた。嬉しかった。
顔が一回り小さくなってしまって、目が真っ赤だった。髪を切ったら多少見栄えが良くなったので、服を着替えさせて帰す。

それにしても男の子、「今まで頂いていた分を考えるととても少ないですが・・・」とは泣かせる台詞だった。kyoがアパートへ帰った後、お婆ちゃんと私、変にしみじみしてしまった。

続いてこんな言葉も・・・


決して恥をかかせず  美しい

上の文字はどういう意味の言葉をつづけようとして書き残したのか思い出すことが出来ない。何週か過ぎた今、ペイジを開いたら見つけた文字である。
決して恥をかかせず美しい老いを迎えさせてあげたい。と、つまり両親の老にたいしての
覚悟を私自身が自覚するつもりで書き残そうとしたように思える。

断片のメモから
16年前の私が、ある悲壮感を持って老人や息子と向きあおうとしていた覚悟が見て取れる。
そして翌年にドクタ−ストップで息子が会社を止める記述へとつづく。あっと言う間の16年だったが、良い時間が流れてくれた、と思って良いのかもしれない。それにしても惚けず逝った父。気丈に頑張る母に学ぶべきは私の方だった。


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