進化論としての結婚
ふたりとも国際結婚をしている若い知人に前後してメールやカードを頂いた。一人はこの間、見えたカレンさん。翌日、礼状入り封筒が届き、切手がイサム野口だったのが嬉しかった。家から一歩も出ない暮らしが長いと、こうした切手にまでも、つい目がいってしまう。いつも花の切手を二枚貼って送ってくれるカメラマンが居るが、その切手を見るだけで誰から送られたか、すぐ解ったものだ。
お礼のカードは丸い葡萄畑の立体の絵でワインのボトルとグラスの絵。ワシントンDCへお帰りになる直前に投函されたのだろう・・・すっかり感心してしまう。私がダメなところは自筆の手紙をすぐ書く・・・という事が苦手だ。メールの時代になっても未だに苦手かもしれない。電話もメールも苦手では人として相当に怪しい。
もう一人は南国が似合うたばっちさん。何という人なんでしょうか、結婚した事も報告し忘れてました〜〜〜ですって(笑)。彼女らしいメールを読んで爆笑してしまいました。こちらは横浜にお住いです。20へ〜〜を早速に押しました。ふたりとも若くて素敵です。アメリカ男性と家庭をもっているのですが二人とも良い意味で奥様ぽさがまるでありません。まるで独身のようにフレッシュ。
気がついたのは、二人が、いわゆる結婚願望が希薄なのに、良い結婚をしている点だ。これは非常にヒントかもしれない。
「料理が出来る、と言わない」「愛してる、と言わない」「あなただけが彼よ、と言わない」
これは館ひろしが昔、アメリカ人モデルの彼女から、母親に教えられた言葉だ!と言う事で有名になった3原則だが、このような教えを我が娘に「サラリ」と伝えられる成熟した母親はまず日本には希有だが、ふたりの母親はその少ない賢い母親なのだろう。
カレンさんもたばっちさんも、自由でのびのびと、まず自分を大切に生きようとしている。夫婦が同列に並んで立ち、未来に顔を向けて精進している。お互いの顔を見つめあうばかりの、発展しない夫婦像ではないところが実に実に頼もしく、このスタンスこそが運命共同体のコツであるように思えた。賢い・・・を進化させてほしい。
パートナーを思い遣る言葉がたえず口に出る二人が、ドライにみえて実はかくも繊細であるか、を、切手や文面から読み取り、若者から学ぶ私です。